揺りのニュアンス

尺八の揺りはいわゆる洋楽器のビブラートとは本質的に役割が違うのではないか。
尺八の揺りの方がはるかに多くのニュアンスを含んでいる。
洋楽器的なビブラートが音楽を彩るものであるならば、尺八のそれは音楽そのものに近いと思う。

楽譜では音の高低、長さは表せるが、この揺りのニュアンスというものをきちんと表せる楽譜はないだろう。
これこそが師匠につく面白さかもしれない。
師匠と吹き合わせを何度も繰り返すことによって、揺りのタイミング、ニュアンスといったものが身に付いてくる。
ゆりは単に音の高低、大小ではない。その膨らみ方、減衰の仕方のちょっとした工夫で伝わる音楽が変わってくる。

今、韓国でテグムを習っていて比較してしまうのだが、この激しい揺りというのも魂そのものというか、尺八以上に揺りが音楽そのものになっている。
揺りの中に運指があるといった感じである。
尺八でも奥州系の本曲にはこの雰囲気のものがあり、共通点を感じる。
この揺りはあきらかに人間の歌のこぶしを写したものである。
人の嗚咽であったり、喜びであったり・・。尺八の揺りも本来はそんなところに起源があったのかもしれない。
尺八の場合、日本人の民族性からか、そういった感情の発露といったことまでやってしまうとちょっと下品に思われるのでもう少し大人しい所におちついているのかもしれない。

話を戻そう。
尺八において揺りは、音楽の大きな位置を占めている。
しかも、きちんと習っても、個性がやはり出てしまう。学んだことと自分の人間性が混沌としたところに自分の尺八音楽が生まれてくるのかもしれない。

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美しく吹くことをやめよう!

今、尺八とテグムと両方一所懸命(最近はテグムに偏っている?)やっている。

自分なりに考えて吹いてきたつもりなのだが、どうやらそれが小さくまとめてしまっていることに気がついた。
尺八は何十年もやっているせいもあって、自分の中に破れない殻ができてしまっているようだ。
その小さな小さな宇宙の中で曲をこねまわしてさらに小さな泥の玉を作るような作業をしている。
今、テグムではその経験がないせいで、とにかくテグムの本来の音を出すことのトレーニングをしている。
まとめる形がないのでどんな風にでもすることができる。
これに気付いたのは今日である。
実はテグムを吹くときも尺八を気持ちの中に持ち込んでいて、小さくまとめる癖がついてしまっていた。
先生に散々、「違う、違う、もっと大きく」「公力(クンリョク)」と言われている。
※公力は良く理解できていないのだが、胆力といったところか。
きれいに吹こうとすると注意される。やけくそで吹くとほめられる。
全力で体ばらばらになりそうなところで吹いている。曲の気分も何も考える余裕がない。

尺八も一度そこに戻らなければいけないのではないか。
惰性で吹く三曲、指使いの経験だけで吹いていないか。
気分を出して吹いている本曲、小さな泥の玉をこねて遊んでいるだけではないのか。

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唱歌中心の教授方法

楽器を教える方法というのは楽器により、人により違うのだろうが、今、学んでいる韓国のテグムの教授方法がなかなかおもしろいので紹介する。

一番大きく違うのは先生はあまり演奏しない。
最初のところで演奏して見せて、部分的に運指などを切りだして教えることはする。
後は、ひたすら生徒に演奏させ、先生はジャンゴ(太鼓)でリズムの調子をとったり、生徒の演奏に合わせて
唱歌しながら強弱、流れなどを伝える。
できないところ、おかしなところがあると止めて解説する。
尺八でもそうだが、古典の場合、楽譜は覚書にすぎず、強弱、流れ、揺りのニュアンスといったところは直接対面で教えるしかない。(演奏だけ録音で聴いてもどうやっているのかさっぱりわからない)
これを声で補完するというのがこちらのスタイルのようだ。
うまくいくと、「チャランダ」(よくやった)と掛け声をかけてくれる。
特に日本的にいえば「間」の取り方については、重視されており、タイミングの取り方というのはかなり何度もやらされる。稽古のときは何を繰り返されているのか、どこがおかしいのかよくわからないこともあったが、録音を聞くとなるほど納得、これがおかしいのねと気付かされる。
かなり大きな声で朗々と生徒の演奏に合わせてニュアンスを伝えるように歌ってくれる。
この唱歌を中心にした教授というのはニュアンスを伝えるには、師匠の演奏だけでは聞き流してしてしまうようなことも伝わるような気がして良いように思う。

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(続)テグムの稽古

尺八以外の楽器をやっているといつもどこかで尺八に置き換えて考えてしまう。
自分はやはりベースは尺八なんだなあと実感する。
ただ、他の楽器、音楽を学ぶことで、尺八についても「わかる」ことがある。

先日までは散調のチュンモリというのをやっていたのだが、今回からはチニャンという処。
チュンモリもチニャンも韓国の伝統的なリズムパターンの形式である。
チュンモリは比較的テンポもよく運指は大変だが曲の雰囲気はつかみやすかった。
今回のチニャン、これはテンポがゆっくりで音の数は決して多くない。
延ばす音が多く、ある意味、尺八の本曲に近いものがある。
18/8なのだが、延ばしているのでリズムがわからなくなる。
こちらの音楽はリズムというものがはっきりしている。
それは長く伸ばす音でも同様でその中にきちんとリズムを感じている。
揺り始めるところも、最後の吹き切るところもちゃんとリズムの中である。
翻って尺八本曲はどうだろうか。
リズムを失った延ばし方をしているケースがよくあるように思う。
リズムは何もその音の最初を強調するということではない。同じ音量で延ばす中にもそれを感じるのと感じないのでは全く違う。
要するに遅いテンポであろうが、吹き始め、揺り始め、音の変わるところ、吹き終わり全て必然でなければならない。尺八の古典本曲も本来きっとそうであるはずだ。
自身も含めてそれを気分で吹いてしまっている人が多いのではないか。

只今、チニャンのフレーズ感がまだ全くつかめず暗譜の前に音楽自体がまださっぱりつかめずにいる。
尺八本曲で言えば、自分でしっくりしない旋律がいっぱい出てきてしまってどうにも演奏できない状態である。
苦戦中。

「20090902CHINYAN.mp3」をダウンロード

 前半部分が難しい

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テグムの稽古

いろいろコメントをいただいたのでお答えしながら。

Q1 どうやって、稽古を受けているのか?
A1 韓国語、日本語、英語交じりで師匠が韓国語の不自由な私に気を遣って教えてくれています。
   稽古良様子と習い始めて1カ月ちょっとの私ののたうちまわっている情けない音をお聞きください。
   テグムの稽古風景

Q2.どんな音楽なのか?
A2.今習っている曲を師匠に手本として吹いてもらいました。
   稽古向きにかなりわかりやすく吹いてくれていますが真似できない。

   テグム散調(部分)
Q3.韓国のリズムは?
A3.いろいろなリズムパターンがありますが、自分の体の中にないリズムなのでまだまだ対応できません。

Q4.楽譜は?
A4.縦書きで毎回師匠が2,3行ずつ書いてくれて次回までに覚えるという感じです。
  音名を漢字で書きます。黄(ファン)、太(テ)中(チュン)林(イム)南(ナム)というのが基本の音です。

今のところはとにかく楽器を十分に鳴らすということが一番の課題になっています。
これは尺八でも同じですね。
一所懸命吹くと、指がおろそかになるし、やはり息と揺りと指が一致しないので大変なことになっています。

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強い稽古

最近、韓国で少し浮気をして韓国の大きい横笛、テグムの稽古を始めているが、同じ管楽器通じるものはある。
それにしてもレッスンはけっこうきつい。
まだ習い始めて1、2か月で楽器本来の音は出ていない。
てほどきの曲から基本的な散調(サンジョ)の稽古に移って数回といったところで毎回、ノートに数行ずつ楽譜を書いてもらいそれの稽古である。
次回までにそれを覚えると言ったところでようやく小さな区切りまでたどりついた。

とにかくまず大きな音を出すこと。
特に尺八以上に低い音域は響かせにくい。高い音域もかなり強い息を与える必要があるようだ。
楽器を十分に鳴らすという一番基本的なことが難しい。

手が細かいところに息ゆり、顎ゆり、手による揺りが加わって難しい。

根柢のリズムが体になくなかなかしっくりとおさまらない。

今日の練習は今まで習ったところをできるだけ大木音で、連続して5回吹くというもの。
尺八でもやるが通して吹くというのはなかなか難しい。さらにそれを繰り返すというのは体力も精神力もきつい。
最初は10回やるように言われたが、私の実力に免じて(?)5回に負けてもらった。
それでも吹いているとだんだん唇はしまって鳴らなくなってくるし、集中力がなくなってきて、運指はいっぱい間違えるし、もう3回めくらいでへとへと。4回、5回 おしまい。もう最後は音はならないし、本当にヘロヘロになってしまった。
効率の良い練習ばかり追い求めがちだが、こういうシンプルな稽古も必要だなと思った。

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«やってくれるね。「オレは邦楽が大嫌い」BY おのP