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2005/06/13

均質化する尺八

いまや尺八は流派も地域性もなくなっている。
製管師は歌口さえ入れ替えれば都山の竹にも琴古の竹にもしてしまう。

本当は琴古流の尺八は琴古の曲を吹くために、都山流の尺八は都山の曲を吹くようにできていたはずだ。
音の趣味、音程感覚なんてのもあるかもしれない。
東北の竹と九州の竹は違っていた。すべてそのような曲を吹くのに適した姿に進化してきたのだ。

今の尺八は何でも吹ける。
本曲でも現代曲でも東北の曲も九州の曲も、琴古も都山も・・・
ちょっと考えればわかるが、そんな都合のいい竹はあるはずがない。
すべてが均質化して結局平均点の竹ばかりになっているのかもしれない。

一昔前の竹は同じ製管師でもけっこうばらつきがあることが多かった。
すべて竹の性質を生かそうと会話をした結果だと思う。
そういわれれば最近の竹はあたりはずれが少ない。
これはゲージの威力かもしれないが反面、竹との会話が少なくなっている、すなわち尺八の工業製品化が進んできているようにも思える。
一定のレベルの竹がまあまあの値段で買えるということはよいことなのだろうが、おもしろみはなくなっているように思える。

誰にも吹けない癖のあるしぶとい製管師の意思を感じるような竹を吹きたい。


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コメント

尺八の究極は「自分で作って自分で吹く」である、と最近大いに思う。

投稿: しんた | 2005/06/13 23:26

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