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2005/07/15

三曲の装飾音

琴古流の三曲の装飾音は三世古童の演奏がひとつの規範となっているように思う。
それは琴古流の本曲の手法からとっていることは自明である。

竹の先輩の薫習庵さんの言われるように装飾音を早い段階で教えないというのは大切なことだと思う。
まず幹の部分である尺八の音を育てて枝葉である装飾音などの技巧に移るというのは大きな木に育てるためには重要なことである。
最初から枝葉にこだわると捻くれた盆栽のようになりかねない。

自身はかなり早い時期から装飾音はかくあるべきを教えられていて、未だにそれが倣いとなって癖で装飾音を入れたりしてしまう。装飾音はパターンで学ぶものではなく本曲の勉強の中からの工夫という根本に立ち返って利用するということがよいのかもしれない。(そのためにも本曲は初伝のころから並行して学ぶべきというのが私の持論である)

装飾音はやはり何を何のために「装飾」するかを十分意識してやらねばただの余分な手になってしまう。
装飾音はセンスである。いやらしくも粋にもなる。非常におもしろいところであるが竹の品性が問われるところであり恐ろしいところでもある。

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コメント

地歌の場合、尺八の手付け以前の三曲合奏を考えてみるのも必要だと思う。琴古の手は三弦にほぼべったりで、尺八以前は胡弓だったのではないでしょうか。胡弓の入った演奏を聴いたのは一度だけで、しかも30年以上前なので記憶がおぼろです。
装飾音は本家糸方の手に合わす、というのがケンカしなくて良いと思う。

投稿: しんた | 2005/07/18 20:43

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» 一音のダイナミックレンジ [竹gotta]
ある人が私の古曲を聴いて「装飾が少なくて素直に吹いているんです ね」と言ってくれたことがあります。 これは私にとって最高の誉め言葉であります。本当はかなり沢山の手 を使っているのですが、常日頃から装飾が装飾と分かるような使い方 は駄目だと言っているので、何だか聴いていて、音の粒立ちがくっき りしているとか曲の流れがスムーズで唄と上手く絡んでいるという風 に聞こえるのが理想的であると考えています... [続きを読む]

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