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2005/07/27

三曲にかける熱情

最近、雑誌「三曲」を読むのに忙しく更新をさぼっていた。

つくづく思うのは大正から昭和戦前の三曲界は「熱い」
時代のせいかもしれないが、洋楽という黒船に対する危機感というか自分のレゾンデートルを求めた哲学をそれぞれに持っている。
古典についても現代の邦楽界の方がよほど保守的と思えるほど他流についてよいものは取り入れようという気概が見られる。
邦楽に対する工夫というものがあらゆるところにある。
楽器の工夫:オークラウロ、ピアノ線をはった筝、楽器の試行錯誤はいろいろな人がやっている。
オークラウロにしても古童が真剣に取り組んでいたのだ。
樋口対山にしてもオルガン合奏をやっているし、明暗流にしても外曲の合奏を盛んにやっていた。
それに比べ今の邦楽界はどうだろう。皆、現状に安住しているように見えるのだ。
楽譜の工夫:いろいろな改良楽譜が作られた。五線譜の試みにしても今よりよほど徹底している演奏家がいた。
演奏の工夫:今の琴古流の人はおそらく竹友社の楽譜からほとんどはずれず演奏する人が大半であろう。
当時の記事では盛んに手付けの工夫があり、いろいろな曲の替手が巻末付録に連載されていた。
山田の曲では全部吹くのではなく歌のいいところでは尺八は休むtかいろいろ考えている。

私も含めて邦楽に関してもっともっと熱と工夫の必要を感じる。

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コメント

いつも拝見するばかりで申し訳ありません。どれも熱い文章で、尺八に対する貴兄の姿勢に刺激を受けています。
「三曲」・・私もまとめて読んでみたいです。忘れ去られたなにかが、つまっているように思います。

投稿: おきた | 2005/07/31 00:10

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