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2005/09/05

尺八に伝統と呼べるほどの歴史があるのか?

尺八というと世間では「伝統的」というイメージがあるらしい。そして尺八吹き自身も聖徳太子から続く(!?)「伝統」について得意になって語る方をみかける。
それでは尺八の音楽はそれほどの歴史があるのか?

まず、聖徳太子の尺八と今吹いている尺八はそもそも違うものと考えたほうがよい。
もちろん、曲なんて伝わっていない。聖徳太子作「蘇莫者」があるという人がいるかもしれないがあれは雅楽の曲であり、尺八の曲ではない。
大徳寺の一休さんが作ったといわれる「紫の曲」(紫鈴法とも)もある。一休さんかどうかはわからないが確かに一節切の時代の雰囲気はあるが今演奏されているものは当時の雰囲気とは全く違うだろう。
一般に今尺八の曲として演奏している本曲はおそらく大半が江戸時代後期から明治時代の曲である。
三曲にいたってはその中心は明治時代後半から昭和の音楽である。(成立はもっと早かったのだろうが音楽として栄えたのはそんなあたりだと思う)
つまり、いいとこ、200年、実質この100年の音楽である。
わけのわからぬ系図を引っ張り出して権威付けしたり、「伝統」を振りかざすのではなく、尺八の本来持つ魅力を十分に受け入れ、人に見せていく努力をしていきたいものだ。

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コメント

でしょう、でしょう!!
そんな「歴史」であるからして、過去にこだわらずいろんな試みをしたら良いと思う。もちろん先人先輩方の業績を否定するものでは有りません。
所詮雅楽とか能狂言とは歴史も作りも違うのだから、「古典」こそすべて、などと言うのは事大主義ですな。

ところでトラックバックの変なのって消せないの?

投稿: しんた | 2005/09/06 22:14

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