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2005/12/07

神如道の多孔尺八

神如道は今では古典本曲の集大成者という認識で琴古流の専門家だったということすら忘れられているようである。もちろん三曲も積極的にやっている。古典本曲ばかり吹いていた人では決してないのだ。
神如道のLPレコードの解説によれば三浦琴童の琴古流本曲譜の編集に関わったという話も聞いている。(この話がどこから出ているかよくしらないが)
三曲の昭和5年正月号では「七孔と九孔の尺八に就いて」という文章を書いている。
これによれば、神如道は大正の半ばには三曲合奏と洋楽研究のために九孔尺八をすでに考案していた、とのこと。
り一の二上がりで出てくるチの大カリは正確な律で対応できない。リのメリでは音量の点から不満がある、ということから、生まれた発想である。
そして、自分の演奏会でも九孔で三曲合奏をしている。

この試みが成功したとはいえないのかもしれないが、いわゆる琴古流の大家といわれる人でも時代の中で、尺八を何とかよいものに出来ないか、と試行錯誤し、新しいものを模索している。
今を壊すことを厭わない姿勢というのは学ぶべきではないだろうか。
現代の尺八家の方が昔よりはるかに封建的で、現状に安住しているといえないだろうか。

聞き手を失った三曲合奏は今後もおそらく戦前の隆盛にはおよばず、ジリ貧となるのは見えている。
本曲は徐々に生命力を失い、はったりと権威がまかり通る。
ならば、現代曲は新しいか。
現代邦楽ブームのときいろいろな試みはされたが、何がその中で残ったか。
邦楽器を音素材としてしかみない洋楽系作曲家の作った曲をありがたがったが、やがてそれは面白くないということに皆が気づいた。
そして残った今行われている現代曲と呼ばれるジャンルの曲は、演奏する楽しみはあるが、やはり聴衆を持っていない。(私にはけっして新しい音楽とは思えない)
もう一度何かを壊さなければならないと思えるのだが、それが何であるか自身つかめていない。

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