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2006/01/16

琴古流は「現代邦楽」をやっていた

古典尺八修行四苦八苦の「7孔尺八と現代邦楽・・・」にちょっと意見があるので書いて見ます。

私は5孔派ですが、それは単に多孔尺八をできるだけ器用でないからと、本曲を専らやっているので必要がないからです。
>5孔尺八で伝統的な古典を守っている琴古流
いつの間に琴古流は5孔尺八になってしまったのでしょう。琴古流の荒木古童も神如道も多孔尺八を吹いています。その時代の琴古流の人は最先端の音楽を志向していたのです。
これは最近の琴古流の流人が昭和のある時期から時代を止めてしまったせいでしょう。
琴古社がほそぼそと宮城の曲の楽譜を出すほかは現代曲の楽譜も発行せず、三曲と琴古流本曲だけを教えてきたというのは厳しい言い方をすれば怠慢だと思います。
竹友社にしても「時鳥の曲」などの当時の同時代の音楽「現代邦楽」を出していたのです。
もう少し言えば、竹友社も新日本音楽の楽譜を出していた時代がありました。
野村景久の事件は確かに不幸な出来事でしたが、それでやめてしまうというのは志が低いように思います。
琴古流尺八に明るい未来を描くためには、現代の音楽をいかに創り上げていくかということをさけて通れません。
愚にもつかぬ新しい試みを行い、時代の中で残るものは残っていきます。
三曲音楽はある意味では古童ですでに完成されています。
琴古流本曲は今後、乱れることがあっても、昔の演奏には帰ることができません。(今、世間で一般に行われている「鹿の遠音」のいやらしいこと!!)
もちろん懸命に琴古流本曲を求めている方はおられるのですぐに無茶苦茶になることはないかもしれませんが。
多孔尺八の話に戻しましょう。

そういう音楽があるから多孔尺八が必要になるのか、多孔尺八があるからそういう音楽ができるのか。
これは尺八の音楽を広げるのか、私にはわかりません。
私はそれをやろうとは思いませんが多孔尺八は、「それはそれでけっこう」というのが私のスタンスです。

しかし考えてみると多孔尺八などというのは昭和初期から行われており決して新しくはありません。
古いものを大切にする気持と新しいものを取り込んでいく気概と両方大切にしたいものです。
それにしても、今の世の中、尺八人が求めるべき、本当に新しいものが未だに探し当てられません。


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コメント

5孔でも大概の現代曲は吹けるようです。道山さんや般若帝国の3人なども5孔しか吹いてません。が、僕は曲によっては7孔を使います。
さらに多様な曲に対応させるなら、オークラウロか尺ルート(Flに尺八の歌口をつける)が便利かもしれません。
三曲合奏は僕も好きですが、あくまでも糸方のものであって尺八本来の曲ではないので、最近はあまり吹いてません。
ガチャガチャの現代曲でなく、新しい三曲の出現を望みたいものです。

投稿: しんた | 2006/04/26 18:02

@単管丸です。私のブログへのアドバイスをありがとうございます。琴古流や邦楽の歴史は勉強していないのでこれからもいろいろ教えてください。私のブログは日記のつもりで書いていますので、一方的な主観や自分が縁している琴古流の範囲の見聞きになってしまいます。誤解、誤認識など要注意事項の点検これからもよろしくお願いいたします。

投稿: @単管丸 | 2006/01/18 15:13

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