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2006/02/04

演奏会で本当に音楽を創っているか?

以前から感じるところであるがアマチュアで演奏会、特に社中の演奏会のような場合の曲への取り組み方が甘いような気がしてならない。邦楽だからということはないかもしれないが、洋楽のアマチュアの演奏会の方が遥かに音楽に対して真剣に取り組んでいるような気がする。
客を入れない内輪ならまだよいがそれなりに客を入れ、金額入りの入場券まで作るようなものはなおさらである。
下合わせ数回やればよいほうで下手すると下あわせ1回、リハなし本番なんことはめずらしくない。
また下あわせも絃は竹に、竹は絃に気をつかい、相手のことはなかなかはっきり言わない。
まず楽譜通りしっかり合わせるという基本的なところができないことがある。
要するに音楽に対して甘いのだ。自分のやっている音楽をこの程度とバカにしているのだ。
指揮者をおかぬ大合奏ではメンバーのかなりの意識あわせが必要なはずである。
普段一緒にやっていない相手ならなおさらである。
テンポだけでも曲の始まり、終わりはもちろん、テンポが変わる所の感じ方というのは互いの意思の疎通が必要である。まずそれが演奏者全員が共有することそれが音楽の始まりである。
それから、どういう音楽にしたいか、絃がメインであればその意思を聞き、感じ、竹はどのように吹くか、そんなところを演奏を重ね、会話を重ねることで積み上げる。
そんな作業の過程が一番楽しいはずなのに。そこに時間をかけられるのがアマチュアの特権であるはず。
私はなかなかそこまでいける演奏会を経験したことがない。
プロであればアマチュアがそのあたりの所をじっくり練るところを、短時間でそのレベルにもっていけるのかもしれない。また演奏技術でそれらをカバーすることもあるだろう。
アマチュアが演奏会をするということは身銭を切って人に聞いてもらう、ということである。
本来一丁上がりの音楽であってはならないのだ。
演奏技術は拙くとも、自分の音楽に対する思いを伝える努力はもっとするべきではないか。
あまりに安易な演奏会が多い。

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コメント

指揮者のいない邦楽の演奏で、合せるまでに相当の稽古が必要ですね。そこのところをおざなりにしては、良い演奏が出来るわけはありません。
アマチュアだから・・・は許してはいけません。アマチュアだからこそ、与えられた曲に対して、徹底的に勉強しなければ・・・少なくともお客様をお呼び出来ません。
せめて努力だけでも・・・・

投稿: @単管丸 | 2006/02/05 13:37

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