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2006/03/02

尺八の標準化と個性

尺八吹きは良く鳴る尺八を求める。
しかもそれが安価であることを願う。

最近は製管技術も進み、最近の尺八は昔ほど性能のばらつきが少ない。
その反面、個性がなくなっているようにも思う。
この尺八のこの音というほどの飛びぬけたものがなく、皆優等生なのである。
まとまりがよく音量もなかなかである。
しかし、いざ良く鳴る尺八を前にすると物足りなさを感じるのだ。

昔の尺八ばかりをほめるつもりはない。
確かに古い尺八はひどいものが山のようにある。
しかし、よいものは本当に図抜けている。
強烈な個性をもって吹き手の力を試すようだ。
竹翁の尺八など、自分の尺八の力を試しているような気になる。
楽器としてよいかどうかは問題ではない。
よい演奏ができるかどうかは問題ではない。
ただの一音の竹韻に自分を人間を映すことができるような気がするのだ。

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コメント

ろめいさん
私の言いたいのはそういうことではなくて、それだけに楽器にはより高い次元で満足できるものにこだわるべきであるということです。
考え方は全くもってろめいさんと同じです。懐の深い楽器ほど吹き手を試してきますし、撥ね付けられます。

投稿: くんじゅあん | 2006/03/03 12:02

私には、それは逃避か転嫁であって解決にはなりません。

投稿: くんじゅあん | 2006/03/02 13:34

もう自分で作るしかないですね。

投稿: しんた | 2006/03/02 01:23

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