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2006/04/06

「虚鈴」考

「虚鈴」は不思議な曲である。そして恐ろしい曲である。
松寿軒(一月寺系)の真虚霊の前吹きと類似であることは良く知られている。
この旋律は不思議な雰囲気を持っている。終止感がないのだ。いつまでも永遠に続く感じなのだ。
ゆっくりしたテンポで一音一音進む姿はまさしく鈴を鳴らし行く遍路さんのようなイメージがある。
ツーレーウーハーハー、ハーハー、ハイイ・・・・
無理に階名で読めば レーミーファーラー、ラーラー、ラシシ・・・
ということになるだろうか。
確かにこれは落ち着かない旋律である。
このどこの音に行き着くかわからない、頼りなさ、そして今の一つの音を伸ばしていく確かさ、
その両方を持つところにこの曲の精神性がある。
同じ旋律を乙と甲で繰り返す。西園流では乙から甲、對山派では甲から乙である。
乙から甲に進むと完全に曲の終わる感じがなく、永遠の曲のある一部を切り取った印象になる。
對山派の甲から乙は乙に収まるという意味で曲がまとまっていく感じはある。
樋口對山は西園流から整曲したときに、曲としてのまとまりをもたせることを工夫したのではないか。
個人的には西園流の宇宙に繋がるような無限感がよいと考えている。
この曲を吹くとき、何の技巧もつかえず、息をのままが、人間そのままがむき出しになるような恥ずかしさ、恐ろしさがある。なんて小さいんだ、なんてなさけないんだというのを実感する。
無技巧を頭でわかっていても、妄想のように何かをしたくなっている自分がいる。
座禅をしているときに湧き上がってくる湧き上がってくるあのモヤモヤに似ている。
この曲を静かに正しく言い訳せずに吹ける日がくるのだろうか。

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