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2006/05/01

本曲は地のありなしでは決まらない

本曲はやっぱり地なしでなければ・・・なんて考えがどこかにあるせいか、近年、人前で本曲を吹くときは地なしにこだわってきた。
地のついた長菅なんて・・と思っていた。
数年前、大阪の小林一城さんにA菅(約2尺3寸)を作っていただいた。
きっちりすべての音がバランスよく鳴る尺八で本曲を吹いてみたいという色気からだった。
太みの竹で内径を広めにという要望は出していたのだが、外観はそれほど特徴的ではなく、普通であった。
音も自分の望んだ通り、バランスよく何も不満なく鳴った。(あえて言えば二三のウがやや不満か)
一城さんの尺八は本当によくできている。そのお人柄通り、よく気をつかっておられる作りである。
楽器はある意味完成していた。
しかし私はその竹で今まで人前で本曲を吹いたことはなかった。何かが不満だった。
当たり前になること自体が不満だったのかもしれない。音の行儀のよさが自分の方向とずれていたのかもしれない。私自身がその竹を吹くところまでいたっていなかったのかもしれない。

最近、その竹でときどき本曲を練習している。
音をコントロールする、という勉強になる。
今まで、音色、音色といい続け、「音の力」をつけることを本当に望んでいたのだが、本曲には一方で確実な技術が必要であることに気づいた。
技術を磨くためには、こういう竹を使うことは本当に意味がある。
単に地がついている、ついていないというのは大きな問題ではないのかもしれない。
それにとらわれる害の方が多いだろう。
神先生の技巧的な本曲では、こういう竹も求められているのだ、と初めて気がついた。
車の両輪のように音自体の魅力と演奏の技術、両立させる方法を研究していきたい。


・・

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コメント

そうですね。
鳴りすぎるという感覚はあります。
東北系の曲で細かい所をやるためにはなかなか悪くないなと思ったしだいです。
音味はやはり地なしの方がよいですね

投稿: ろめい | 2006/05/02 21:33

さりながら、地塗管はどうも鳴りすぎる感じがするし、音色も吹きようによっては「色」がつきすぎるきらいがあって、どうも本曲に使う気がしません。細身の良く出来た地無管ならば技巧的な曲にも対応できると思う。なかなかそんな尺八はできないけどね。

投稿: しんた | 2006/05/02 16:28

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