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2006/06/18

練習不足の現れ方~自分の体がみえない

このところ、尺八を充分に吹けていない。
それでも何とか触っていようとは思い、布団に持ち込んで寝る前に天井を見ながらフーっと息は入れてみるのだが練習にもならない。
8寸を吹いてみる。練習不足は何にあらわれるかというと、自分の体がわからなくなっていることに気づく。
どのくらいの息を入れればどのくらいの音がなるか。どこまでの息をこの竹は受け付けてくれるか。
尺八と対話ができないのだ。となると、もう一方的にこちらから尺八の都合も聞かずに力任せに吹くしかないのだ。また尺八吹きと言うのはどうしても「鳴らそう」という気持だけは本能的に持っているものらしく、自分の体がわからないのに、相手を押さえ込みに行く。つまり余計な力、とくに唇の力が入ってきてしまう。
もっと竹が気持ちよく鳴ってくれるポイントがあるはずなのだが、それが待ちきれない。
練習はしなければ、下手になる。これは曲の中での指が動くという尺八を吹く以前に自分の体がわからないくなっている方が問題である。
練習せずにうまくなる人はいない。当たり前のことである。

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コメント

多くのサラリーマン尺八家の例に漏れずおつらい状況のようですね。僕は出世も??も捨ててのんびりやってますが、あまりのんびりやってても気合が入りませんね。

投稿: しんた | 2006/06/18 09:58

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