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2006/06/27

民謡は奥州系本曲の母

三曲の尺八をやる方は民謡尺八というとどこか軽蔑したような態度をとる人がいる。
本曲吹きは三曲(外曲)を吹く人を「あれは外曲吹きだから」なんていって疎んじる人がいる。

私は民謡尺八をきちんと勉強したことはないが、たまに米谷社中の公刊譜で民謡を吹いてみたりする。
これがなかなかいい。
刈干し切り唄とか小諸馬子唄とか追分とか、本当に尺八にとっていい旋律だし、尺八の技術が生きている曲のように思う。
もともと本曲と民謡は近い所にある。
「追分」を「義経鈴慕」とかいって本曲吹きは吹いたりする。
本曲で有名な後藤桃水は八戸小唄の作曲者でもあり、民謡尺八の大家である。

本曲を吹いているとつい「吹くことを楽しむ」というシンプルなことを忘れそうになることがある。
やたら眉間にシワを寄せて、深刻な顔をして鬱々と吹いたりする。
特に奥州系の本曲などはメリも多く鬱々グダグダとなりがちである。

民謡をふいて気がつく。
「なんだ奥州系の本曲は民謡じゃないか」
本曲は鬱々と吹くことがよいことではない。もっと明るいものであるはずだ。
(たとえ陰旋法であってもそれ自体が暗いということではない)
民謡をベースに考えるとずいぶんわかりやすい。技術も唄も民謡にある。
本曲を吹いて難しいことはメロディに自分の中で意味づけをすることだ。
三谷の高音では「鶴が三つの谷を渡っていくところ」なんて話を聞いたことがあるがどうもピンと来なかった。
意味づけをするということは、何かに例えることではなく、自分の中で歌えるか、ということである。
民謡はそれを教えてくれる。生活の中で培われたメロディの力は非常に強い。
民謡を吹くと手が崩れるなどというのは幻想である。
得られることはよほど多い。

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コメント

往年の民謡尺八の名手は皆本曲吹きだったようですね。菊池淡水氏しかり、浦本師などは民謡協会で本曲のCDを売ってる。
だから追分節のもみ手などは今一般にやられているような打ち手ではなく、本来はカムリのようです。

投稿: しんた | 2006/07/02 00:18

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