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2006/08/21

「霧海篪」の考え方3

まとまりのなく、自分で納得できていないまま大阪の本曲会で「霧海篪」を演奏した。
演出せず、解釈せず、フレーズを丁寧に吹いて行くことだけを心がけた。
聞くほうが、退屈するかどうかなど気にせず、ゆっくり時間を動かした。
ただ、同じようなフレーズを繰り返すことで音楽を止めないことだけは意識した。

結果、
人の前で演奏してみてわかったことがいくつかある。

同じような旋律を繰り返しても人は退屈しない、退屈しているとすれば自分である。
結局、どういう演奏がよいのかというと、どう吹くかといった技術ではなく、どういう次元の音を出せるかという問題である。
同じようなフレーズを繰り返すことで、自分の心の重心を少しずつずらしていくような作業というのはなかなかおもしろい。(ちょっと伝わらないかもしれませんが、本番で少しこんな感覚を持った)

まだまだ迷いながら「霧海篪」を探していくことになりそうである。

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