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2006/10/28

アマチュアの壁2

今日午前、端唄ものの短い曲「鶴の声」を稽古していた。
吹きながら考えていたのだが、純粋に自分の尺八の発音の技術、曲を吹く中での運指などを含めた技術、そして曲の裏づけとなる知識、どう吹きたいと考えるかというような心の技術(?)が必要である。
できるだけシンプルに考え、小手先に頼らないということが大切である。
知っていて省略する指使い、揺らない技術・・削いでいくことが難しい。
それでもまだ一所懸命やっている。

善養寺先生ならどうするか。
技術も気持もすべて後ろに隠して、何でもないように吹かれるのだろう。

こうして考えると、上に上げたようなことの他、もうひとつ「自分の演奏を外から眺める技術」というのも重要かもしれない。

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コメント

割れるのは
中塗りしてないからです。僕のも表面がひび割れたので巻きました。乾燥した部屋では吹けません。

投稿: しんた | 2006/10/30 23:46

ろめいさん。
> 3.スリの技術を知っているがそれをそこではやらない。

いろいろな練習をこなしていれば、そのぶん尺八を自由に扱えるということは充分にあり得ますが、技術を知っていることと、一音が良いかどうかということは関係が無い、別の問題のような気がしないでもないのですが…、
そのことより私、我流なのでスリの技術って知らないのですが、これは単純にポルタメントと思って良いのですか? それとも鹿の遠音冒頭のツ~ツレー?
それとも、もっと微妙な何かがあるのでしょうか。

さすらいさん。
盆栽暦は私も何十年ですが、種を蒔いたり、そこらへんの枝を挿して銘木になる日を夢見るばかり。作業の総量からすると、プロの一年分にも満たないかもしれません。
尺八も、まともなプロとアマチュアの差は単純に、練習の質と量の違いに過ぎないのかも知れませんね。

> 管理の仕方が解からないで割ってしまう。

去年、高価なのを買ってきて五分くらい吹いたらパン!
すぐに露切りを通して置いておいても20分くらいパン、パン、と割れ続けました。
カミさんには、「良くあることだから何でもない、すぐに直してもらえるから」なんて言いながらも、血の気が引いているのが自分でも分かりました。
糸を巻いて、その上から漆をかけて戻ってきたのですが、今度はその漆がかぶれて指が異常に腫れる。結婚指輪が食い込んで、指が腐るのではないかと不安で一睡も出来なかったりしました。
それでもまだ、季節が変わると息が漏れたりして、先日も指孔の隙間に亜麻仁油をタラリタラリと。
2尺3寸のA管。あまり鳴らないんですけどね。一生の宝です。
自分が死んだあと如何なるのか、それだけが悩みの種。
娘は「売る」、としか言わないのです。

投稿: ペリー | 2006/10/30 02:54

蛇足
しかし、植えられたこの樹はこれで
終わりではない、
これから何十年もかかって、丹精され
更に樹格を上げて作りこまれて、
見る人(聴く人に)に
松籟(松にあたる風・音色)を
感じさせるようになるのである。
ぁぁー浪漫だなー

投稿: さすらいの尺八マン | 2006/10/29 10:25

べりーさん
盆栽をお誉めいただいてありがとうございます。
最近は尺八の方にウエイトが行っていますが。

尺八のアマチュアの壁を、盆栽に無理やりに
喩えるならば、
植木と盆栽ほどの違いでしょうか。

アマチュアが知識も無く盆栽を買うと、
管理の方法や剪定の方法も解からず、
いずれ枝もボサボサになり、
肥料不足や虫に食われて、何十万もする樹も
挙句のはてには庭植えにしてしまい、
盆栽としての価値は無くなり、
庭木、または植木になってしまう。
したがって、プロは自分が丹精こめた盆栽は、
アマチュアには売らない。

尺八も吹き手が知識不足だと、
高価なものを買ってもそうかな、
管理の仕方が解からないで割ってしまう。
演奏以前の問題・・・
製管師と尺八が可愛そうですね。

一方プロは筋の良い新木を、経験と知識により探し出し、
将来の姿を考えながら、松柏なら銅線を掛け(アルミ線は掛けない)
技術をさりげなく隠し、やんわりと巻き、
要らない枝はばっさりと切り、枝振り(曲想)
をかんがえて整えスッキリとさせる。
素人は勿体がって枝数が多くなる
(私の親方の口癖)。
枝振りを金棒で矯正し後ろに回し、
後ろ枝としてチラチラとテクニックを、
見え隠れさせて奥行きを見せる。

そして、盆栽に合う鉢を選び位置を確認し
しっかりと植え込む。
これで、(本曲の)樹格が上がり鑑賞価値も上がるのではないでしょうか。
・・・と思いました・・・

投稿: さすらいの尺八マン | 2006/10/29 08:25

>技術や気持ちや知識をわざわざ後ろに隠すのなら、最初から持たないほうが余程すっきりして美しいのではないですか?
たとえば同じスリの技術にしても
1.スリの技術を知らない
2.スリの技術を知ってそれをやる
3.スリの技術を知っているがそれをそこではやらない。
1と3はスリをしないということに関しては同じですが、音楽としては違ってくると思っています。
一度得た技術を捨てることができるときもう一つ別の何かが生まれるような気がします。

投稿: ろめい | 2006/10/29 01:34

ろめいさん。あんまり突っ込むとご迷惑だとはおもうのですが、おっしゃっていること、違うのとちがませんか?
技術や気持ちや知識をわざわざ後ろに隠すのなら、最初から持たないほうが余程すっきりして美しいのではないですか?

曲や節の美しさ面白さを的確に、発見して把握して伝えることの方が、技術や知識より大切なのだと、私は思うのです。

なんだか下手なんだけど、とても素晴らしい演奏ってありますよね。これは、なんとなく味があるとか、人柄がにじみでているからというのでは決して無くて、演奏者が音楽の魅力の核心をしっかり把握しているということなのだろうと考えています。

逆に、テクニシャンで通っていて、人格も素晴らしいと言われてファンがたくさんいてCDがたくさん売れているような人でも、音楽の分かりきった魅力を半分もこなせていなかったりすると、単に、「尺八でこんなこともできますよ」というだけの、手間のかかった隠し芸にしか見えなかったりするのです。

投稿: ペリー | 2006/10/28 19:02

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