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2007/01/17

対山派のツのメリはなぜ高い

対山派のツのメリはなぜ高いのか。
対山派の本曲のツのメリは高く、中メリに近いくらいである。
対山派の元である西園流の本曲では、ツのメリはほぼ通常の音程である。
(多少音程を浮かせることはあるかもしれないが)

ここでツのメリがなぜ高くなったかについての仮説
仮説1:もともとはそれほど高くなかったのだが、本曲だけ吹いていた谷北先生あたりの代から、他の楽器と合奏することがないため、ツのメリが甘くなった。
その後の人はそれを拡大解釈してツのメリは高いのが正しいと思うようになった。
仮説2:西園流の本曲ももともとツのメリは高かったのだが、西園流が外曲を並行してやるうち音程が低くなった。

樋口対山の本曲の演奏は多分残っていないのでわからないが、和洋合奏までやっていた人だから、音程についてはそれなりに安定していたものを持っていたように思われる。
とすると仮説1と考えたい。
今の対山派の方で未だに「外曲をやると本曲が崩れる」「本曲は本人曲」と言っているような人は、ますます世界が狭くなり、音程感が無茶苦茶になってきているのではないか。
確かに本曲のメリは個性もあるし、ある音程幅を持つことは考えられる。
しかし今の対山派のように無批判に高い音程のメリをよしとするのはどうかと思う。
そして学者先生はそのツの中メリ風の音程を基準にして旋法論まで持ち出すのは疑問である。


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コメント

長年対山派を吹いてきました。対山派のメリ音の甘さや、メリ音以外にもあいまいな律の音がいくつもあることに大きな疑問を感じてきました。
しかし、最近では、それでいいのだろう、という感じになってきています。合奏曲であれば、音律が合わなければ絶対に曲になりません。しかし本曲は一人で吹くものですから、どう吹いても自由なのだ、本人がそれでいいと思うのであればそう吹けばよい、と思うようになりました。
また、対山派に限らず普化の曲を吹く人たちの中には、音楽性を追及することを下に見て、精神性を追求することこそ本来の姿だ、と言う人もいます。三曲や民謡を蔑んでいます。そのような人たちにとっては、本曲は音楽ではなく、宗教なのですね。尺八を吹くことは座禅などと同じように、精神修養の手段なのでしょうね。それはそれでいいのかもしれません。私にとっては本曲は“お経”などではなく、尺八で奏でる曲だ!と思いますが。本人が本曲を“お経”のようにありがたいと思っているのであればそれでいいのでしょうね。あくまでも“本人の曲”ですから。

投稿: 隠れ虚無僧 | 2013/01/21 17:25

ご存知ですか?
音源が沢山あがっていますね。


http://www.sepia.dti.ne.jp/shakuhachi/

投稿: ペリー | 2007/02/03 20:48

先に、対山の木版譜で内容が違うものもあると書きましたが、「嘘鈴曲譜」と「嘘空曲譜」で、

ハ 盤渉(B)

となっている版が月渓恒子著「尺八古典本曲の研究」p139、p141 に載っていました。
ハが盤渉になっている、署名が、こちらの嘘鈴では明暗尺八師範長對山樋口孝道、嘘空では明暗教會理事長對山樋口孝道、前のものはどちらも對山、といった違いのみです。
ハが盤渉ということは有り得ないので、単純な誤植かと思われます。

「尺八古典本曲の研究」では、この譜面の下に五線譜がのっているのですが、月渓恒子さんは文学博士ということなので仕方がないのかもしれませんが、中学生レベルの五線譜の書き方くらいは勉強して欲しいものです。調号にフラットが付いていないAの音にナチュラル記号が付いていて面食らってしまいます。

投稿: ペリー | 2007/01/31 09:32

ろめいさん。
明暗導主会ですか。私は聞いたことがないので随分ずれた話をしてしまったかもしれませんね。
mixiの日記に本曲の話を集中的に書いていたのですが、ろめいさんが見にいらっしゃらないので削除してしまいましたよ。やっぱり面白くないよなあと思って…。
藤由越山さんがご覧くださったようで、三節切も良いなあといったことをブログで書いていらっしゃるので、意味はあったかと。

toorakさん。
ツレーのツのピッチって、ちゃんとそう書いていらっしゃいますね。しっかり誤解していました。
私としては、EでもEsでも顎でも指でも併用でも全部出来るようにしておいて、そのつど選べば良いじゃないのという本人曲派で、結構いい加減なもので、何だか申し訳ないです。

ところで、「尺八の歴史」で有名な上野堅實さんは「塩とタバコの博物館」元館長でいらして、「タバコの歴史」という本も書いていらっしゃるようで…。確証はないのですが、同一人物のようなのです。

投稿: ペリー | 2007/01/22 00:44

いろいろ意見をいただきありがとうございました。
別の議論として展開したい話などもあり、興味深いところです。
対山派のツのメリの音程に対する疑念は、そもそもは今の明暗導主会の方々の吹きかたで、メリの音程が定まらない不安定な
感じがするといったところから来ています。これが中メリの音程といっていいのか、中メリとメリの間といっていいのか、人の数だけ音程があるようにも聞こえてしまい、それならば違うのではないか、という発想がありました。
いろいろ知らない知識もあり勉強させていただきました。

投稿: ろめい | 2007/01/21 22:12

> ペリーさん

ちょっと安易に人の文章を引用してしまったようですね。

あくまでツレーのツのピッチに関連しての引用ですので、
誤解の無いように。
説明不足だというのはわかっていますが、
あまり長くなるといけませんので、ここまで、ということで。

投稿: Toorak | 2007/01/21 21:16


さすらいの尺八マン さん。
少し話がずれますが、文献にある音楽理論は、まずいい加減なんです。良くても漢籍の引用、しかし多くは引用の引用の引用といった具合で、誤解や勝手な解釈をその時期に流行の儒学の説で飾り立てている。
『尺八銘並序』では「原夫律呂之所濫觴者(律呂のそもそもの始まり)」として「呂氏春秋」かその系統の伝説や理論によって、十二律を呂六、律六、合わせて十二としているのですが、ここでの「律呂」というのは、1オクターブ内の12の半音(および12の半音を主音とする旋法)を二つのグループに分けてそれぞれを「律」、「呂」と名づけているのであって、日本の音楽の現状とはかけはなれた説なんです。舶来の説をぶちあげてかっこつけているだけ。
「琴古手帳」では、これを誤解したのか、あるいはすこしでも現実に当てはめようとしたのか、乙ロツレチリイの六音と甲ロツレチリイの六音を足して十二律、それぞれに3種類あって、合わせて三六律と言うことを主張しています。この3種類については説明がないのですが、律旋、呂旋、都節の3種類を想定するのが当事の現状に当たっているかと思います。

ようやく一尺八寸ですが、現代のメートル法以前は度量衡の基準は常に変動しているのです。尺の長さも江戸時代には業種によって異なります。竹の場合は暗黙の了解があったかもしれませんが、
絶対的な長さの基準という発想は現代の私たちの特殊な考え方だということをわすれてはならないと思います。だから一尺八寸が基本というのは對山派の方針に過ぎないと言ってよかろうと思うのです。

傍証に過ぎませんが、「尺八史考」220頁以降に久松風陽の作った尺八のサイズが書いてありますが、七寸三分から二尺一寸までさまざまです。
また、明暗寺の縁起を信じるなら、開山は鎌倉でしたか室町でしたか、いずれにしても一節切の時代なので、尺八は一尺強の長さしかないわけで、これをもって考えても一尺八寸が基準ということは有り得ないと結論せざるを得ません。

なお、ろめいさんの
「どんな管楽器でも基本的には開放音をベースに旋律は作られると思います」
ですが、つきつめると鶏と卵ですが、木管楽器の基本はむしろクロスフィンガリングであること、楽器より音楽、つまり音楽の要請に従って楽器は改造されるのが一般であること、尺八の孔割りが長い間均等割りであったこと、極端な例ですが、ナチュラルホルンは開放音をほとんど使わない、などから私は同意できません。

投稿: ペリー | 2007/01/21 17:32

> ペリーさん

それは、ペリーさんのエクスキューズであって、昔の虚無僧はどう考えるだろう、という視点ではありませんね。私はすべてがもっとよりシンプルになるんじゃないかという気がしています。

その点からして、ろめいさんがさらっと書いてしまってますが、

>どんな管楽器でも基本的には開放音をベースに旋律は作られると思います

というのは、非常に重要な考え方だと思いますね。だからツが元々低かったものを、比較的新しいチューニングの尺八でシミュレイトしようとしたら、少しかざす形になったり、とか。まあ、この辺りは相当以前から話して来たことなので、未だに何らかの実証がないというのがつらいところですが。

投稿: Toorak | 2007/01/21 11:01

天蓋の話しですが
実際に鎌倉で天蓋を被って吹いてましたが
深く被るとメリをするとき天蓋の縁に
尺八があたり邪魔になります。
しかしこれは天蓋の中の台に小さな布団
または、台を高くして天蓋を浮かせれば、
浮いた分メリも吹きやすくなります。
また、京都明暗派は一尺八寸管のみで、
長管は使わないと聞いていますが・・・
文献ではどうなのでしょうか?

投稿: さすらいの尺八マン | 2007/01/21 10:15

ろめいさん。
余計な負担をおかけしたようで申し訳ありません。
無理しないでね。

T先生というのは、邦楽をネタにした噂話が売りの月溪恒子さんのことですね。ろめいさんはなかなか手厳しいけれど、御神輿みたいなものなんだから、私は中身は気にしません。
レチハロツ(中メ)ツレ、で律旋になるわけだけど、だからどうしたの? といったその続きの議論が読みたい。どこかにないかなあ。

Toorakさん。
天蓋については、どの時代を出発点と考えるかで話が変わる部分もあるかと思いますが、いずれにしても、歌口が浅ければとくに無理はないのではないでしょうか。
長管は顎メリも指メリも、顎と指が使える長さであれば特に短管と違いはないように思います。開口端云々の問題があるわけですが、管の長さに応じて開口端も広くなるのですから、違いがある場合は長さというよりも、それぞれの作りの違いのほうが影響が大きいような気がします。私の二尺九寸管は、扱いにくい一尺八寸管よりもメリは楽です。

投稿: ペリー | 2007/01/21 03:35

もう一つ訂正。直正さん → 如正さん

ツレーのツは、それ以外にツメレーもあったと思います。曲によったり、同じ曲の中に二種類出て来たり、じゃなかったですかね。最近あまり吹いてないので、忘れてしまいました。どの程度までピッチを落としているかは、音源からチェックする他ないかもしれません。

善養寺さんの場合は、すべてFGに変えているそうです。理由は、ツレーのツが低いのは如道師の出身である津軽地方の尺八のくせなので、そうなっているのだろうというようなお話だったと思います。

メリの深さというか、尺八の角度を大きく変えるというのは、以前にも話がありましたが、天蓋をかぶっていてどれだけのことができるか、というようなこともありますね。それと、ご指摘の昔の尺八の手孔の大きさ。長管を使った時にどこまで指メリが使えるのか、とか機能上の点というのは大きいと思います。

私は琴古流本曲を先にやりましたので、ずっと指メリしか知りませんでしたが、指メリなしのツのメリの話を聞いた時に、まず手が一杯一杯の長管だと、助かるよなぁ、なんていうのが第一印象でした。

投稿: Toorak | 2007/01/21 00:42

ひさしぶりにいろいろ意見いただきました。
といってもよく見聞きした人ばかりですが。
ちょっと体調を崩していて返事できていませんでした。
ペリーさんの
>学者先生はそのツの中メリ風の音程を基準にして旋法論云々は
T先生のにあったと思います。詳細思い出せませんが。

確かに音程の感覚というのは時代によって移り変わっていくものかもしれません。
そして尺八のような楽器の場合、音程はある意味無限。変化しやすいともいえます。
現代の琴古流ほど画一化しなくても音程の幅は認めるべきでしょう。
もちろん尺八の構造(孔割り)の問題もあると思います。どんな管楽器でも基本的には開放音をベースに旋律は作られると思いますので。
楽器の変遷、時代の聞く人の趣味、というところで変化して言ったと考えるべきかもしれません。それにしても半音の変化は大きいように思いますね。(違う音楽に聞こえそうです)

投稿: ろめい | 2007/01/20 15:36

Toorakさん、こんにちは。「嘘鈴曲譜」と「嘘空曲譜」、ママです。
引用元は「對山譜拾遺 池田壽山集」。

虚無僧研究会発行の「虚霊山明暗寺文献」では
「三虚霊 嘘鈴 虚空」という表記ですね。
對山より前の明暗寺の書き方なのでしょうが、これを真法流と言って良いのかどうか、分からないことばかりです。

糸方のピッチの変化が西洋音楽の影響というのは確実だと思います。だから良くない、と私などは言いたいほうなんですが、聞き手の耳の変化もあるわけですから、決め付けるわけにはいかないですね。

京都地唄舞の四代井上八千代(愛子)、昭和32年の映像では「ツメリ」も「ウ」もかなり高くて粋な感じがしました。

最近CDもあまり聞かないんですが、神如道の「ツレー」はEGとFGと二通りありましたね、確か。神如道がEに作っているところを善養寺さんはFで吹いている曲もあったようです。
指メリは、指孔が小さい尺八だと制御が難しくてかえって下がりすぎるような事故もあり得るので、避けるというのは楽器の奏法として自然だと思いますが、なんというか、人それぞれの好みとか気分というのも案外大切なように思うのです。
「かんかん照りの真夏に陰鬱な吹き方をするのはいやだ」、といった気分を押し殺して規範通りに吹こうとすると、取りこぼしてしまうものがあるのではないかなどなど。

投稿: ペリー | 2007/01/20 12:55

変な書き方をしたら敬称が抜けてしまいました。失礼多謝。
ブログ主(?)→ ブログ主(?)さん

琴古流と、琴古以外の古典本曲を吹く人たちの間でのスタンスの一番大きな違いは、外曲を積極的に受け入れたか、その逆だったかということじゃないかと思います。琴古流の場合、本曲と外曲は尺八をやる上での両輪のようなもの、というスタンスを取っていたと聞いています。この考え方は実際に「音楽」として尺八演奏を行うということを考えると、非常に妥当な考え方ではないかと見ています。実際、海外では本曲中心の様相を呈していて、今後演奏技術などに問題が出て来そうな感があります。(糸方が少ないということが、一番大きな原因ではありますが)

尺八音楽学とか尺八楽論というのが存在するかどうかわかりませんが、海外では尺八という楽器、それから特に本曲などの伝統(同時に伝承)音楽は民族音楽ということになります。今回提示されている仮説1、と仮説2については、いずれも正しいように思うのですが、ツが高いということについては、この民族音楽の中で最重要視されるAuthenticityという評価基準から考えた場合、何の問題も生じないと思います。

特にブログ主さんが書いておられる対山派のツのメリのピッチの変遷というのは、非常に興味深い尺八の歴史の一端かという気がします。

投稿: Toorak | 2007/01/20 12:26

>ペリーさん

「嘘鈴曲譜」と「嘘空曲譜」の「嘘」の字は、ママですか?

ツのピッチの変化については、俗に言うところの外曲、つまり他楽器との合奏の影響だと思います。糸の音も高かったということですが、実際にその当時の録音が無いでしょうから、評価はむずかしいでしょうね。名古屋方面の箏曲地歌の演奏は比較的古いチューニングが見られるようですから、そういった音源ぐらいが参考になるかもしれません。また、糸方のピッチの変化があるとすると、やはり西洋音楽の影響じゃないでしょうか。20年ほど前でも、同社中内としても世代間でその辺りに違いがあるという話を聞いたことがあります。

また、尺八の方では、一般に手に入る音源としては、「三世荒木古童」の演奏が入ったカセットテープがありますから、それを聞いてもらうと、大正から昭和初期に掛けての当時のトップ尺八家の音感というのがわかるかと思います。聞いたことがありますか? これには三曲合奏も入っていましたから、糸についてもわかるかもしれません。

神系についてですが、善養寺さんはほとんどツのメリは指メリにしているようです。この辺りは、ブログ主(?)の方が詳しいでしょうけど。私は、古いと言われている曲については指メリは使いません。それから、直正さんに直接習ったという人に聞きましたが、指メリかどうかを含めて、ツのメリのピッチに関しては、一切言及は無かったそうです。その人は、すでに都山をやっていたので、記譜上ツの(大)メリと書いてあるものついてはすべて指メリで吹いているとのことでした。

投稿: Toorak | 2007/01/20 11:36

「外曲を吹くな」というと、「尺八史考」の著者などは当事の有様を、卑猥の俗謡や追分を吹く門付乞食が尺八を吹くものだから、堕落のありさまは悲惨を極めているといった書き方をしています。
こういう状況のなかで、普化尺八の正統を取り戻そうという発想であれば、「外曲を吹くな」というのはまっとうな主張だと思います。
ただ、もう少し時代をさかのぼれば、本曲は古伝三曲のみのはずなのに琴古流の残り33曲は何なんだ、という幕府の質問に琴古流サイドは答えられなかったような話もありますのでややこしいですね。

ツのめりについては前にも書いたんですが、50年くらい前には地歌でも高い録音があるし、三味線の大御所で、若い頃は高かったと言っている人もあるんです。だから外曲は低いというのは、ごく最近の傾向じゃないかなあと思っているんです。なんとなくですけれど。

まあ私の場合は、人がどう吹いていようと、結局は自分が納得のいくところを求めるしかしようが無いので、良くも悪くも「本曲は本人曲」でして、確かに世界が狭いです。

投稿: ペリー | 2007/01/20 09:55

なるほど
対山の本曲譜には中メリがあったのですか、
私は洋楽の影響か、ツはメリがよいのかなと
思えていますが・・
対山導主も音に対して、
考案と模索をしていたのでしょうね。
そして自分の納得のいく曲に、
練り上げいてたのでしょう。

外曲を吹くなとは、軽快な曲や端唄・ザレ歌を吹くと
安易に吹きやすい運指にはしり、本曲の手が崩れること
をいましめたのではないでしょうかね。
従って私の仮説としては2番かな。

投稿: さすらいの尺八マン | 2007/01/20 07:27

明治23年の対山の木版譜で「嘘鈴曲譜」と「嘘空曲譜」というのがあるのですが、これに音名と運指がのっているので、少なくとも明治23年のある時期に、この2曲については、
ロ 一越(D)
ツ 平調(E)
レ 双調(G)
チ 黄鐘(A)
ハ 神仙(C)、
つまりツは中メリ、チはめらない、ウはA♭、める時に指は使わないと対山自身が考えていたことは確実だと言えます。

しかし、同じような木版譜で内容が違うものもあるのです。今、探して見つけられなかったのですが…。これはどういう事かというと、対山の考えが動いていて、まだ如何するべきか決められないでいたということではないかと思います。

すると、音程に関して厳格に「対山派」の伝統を重んじたいなら、現在の師匠の教えを忠実に守るべきでしょうし、「樋口対山」の考えを踏襲したいなら、資料に当たって「樋口対山」の考えを追求するべきだということになるのではないでしょうか。

投稿: ペリー | 2007/01/19 18:35

教本「琴古流 尺八獨習」草野鈴風の
端唄「かっぽれ」を吹いていが、その
注釈に曲中のツ・ヒに本来は中メリであるが、
軽く本メリ(メリ)にしてもよい、そのほうが
吹きやすい。と書いてある。

また、明暗導主会の譜はツのメリでもツとだけ
書いてあり、この場合はツのメリから吹く、又は
ツのメリから更にめり込むなどがある。
従って譜だけを見ても解からず対山導主に直に
教えを受けなければ、解からないのでは。
(教えを受けてもそれを、踏襲しなければ
また、解からなくなるかな?)
横山師のビデオでは本曲の本曲たる所以は、
メリは二段に折れ込む(メリ込ませる)ことだと云っている。
安易に対山流のツは高いと断定することは難しいと思いますがいかに。

投稿: さすらいの尺八マン | 2007/01/19 16:29

[学者先生はそのツの中メリ風の音程を基準にして旋法論まで持ち出すのは疑問である。]

これは、誰が何処で如何いうことを書いているのですか?
差しつかえなければ教えてください。
ペリー

投稿: ペリー | 2007/01/19 01:40

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