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2007/04/16

三曲合奏・・偉大なるマンネリ

三曲合奏というものは尺八吹きがいろいろ工夫して吹くほど、聞き手に伝わらないかもしれない。
そもそも普通の人が地唄、筝曲を聞いてそれほどに曲の内容は伝わりにくいだろう。
尺八の手もある意味マンネリで、あるパターンの繰り返しが多い。
一握りの地唄、筝曲の愛好家だけが狭い狭い範囲でのうまい下手を評論する。
おかしな世界である。

考えてみればどんな芸能、芸術もそれほどに新規を求める必要はないのではないか。
新奇なものをもとめることは楽しいが、それを求めるほどに行き詰る。
足元のしっかりしていないものは不安である。新しいものを追い続けることは非常に苦しい。
寧ろスタンダードなもの、古臭く評価の決まっているものを深めていくこと、評価するものは少なくとも自分の興味を深めていく作業、これはけっこう楽しい。
マンネリ多いにけっこう。
芸術はマンネリの中から生まれる?

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コメント

まんねりはそれはそれでやってる人がよければいいと思う。
が、糸方からみれば、何故尺八がそんなに三曲をやりたがるのか理解に苦しむらしい。2人の琴弾きの友人知人との話の中でそんな話題も出た。
そもそも糸も尺八も「歌の伴奏」だ、ということを尺八方がわかってないんじゃないかしら、なんて言われてしまいました。後ろからそっと目立たぬように支えてくれるのが一番なんだけど、とも。

投稿: しんた | 2007/04/23 18:24

波平さん、こんにちは。

>調子・一二三・鉢返し・瀧落し

すごい超特急で進めていらっしゃるんですね。
私は一二三調と雲居獅子を覚えて1年くらい経ちますが、まだ先に進めません。調子は最初の頃に覚えたから、もう五、六年になりますが、丁度昨日、やっと雰囲気が見えたような気がしたところです。

ところで、本曲吹きの唱歌なら、
ツレー、レー、ハー、ハロー、ツロー、ハローハ、
この曲、はずせませんね。

投稿: ペリー | 2007/04/18 10:21

さっそく拝聴いたしました。
たいへん勉強になりました。
ありがとうございます。

わたしも、自分のブログに音源を載せて聴いていただきたいが、今はできません。
以前は師匠無しの勝手気ままの立場だったが、今は師匠が居る。わたしの不出来は師匠のせいだとなったら大変だ。師匠の許しが出るまでは音源アップは控えるつもりです。あしからず。

わたし、調子・一二三・鉢返し・瀧落し、しか未だ習っていない。
だけど、自分の勝手稽古で、すでに虚空や虚鈴だって吹いている。先行した勝手吹きをあまりやるのはよくないだろうと思っているが、やってみると曲趣がそれなりにスルスル身体に沁み込むような心地があって楽しくて楽しくて…、

今朝の単管○さんのブログに、地歌吹きで本曲を吹いてはダメだが、この逆は構わん、といったような話しが出ていた。
実は、
わたし、“そうだ!今の本曲吹きで童謡唱歌を試してみようと”、昨日やってみた。と、これが、実に楽に吹ける。自分でもなんとなく上手になっているような気がする。おもしろい。実に面白い。

師匠の指導を受けるってのは、所詮は自分の鍛錬のためだと思う。自己流の勝手吹きは油断すると邪道に入る。
が、わたしは、邪道を楽しみながら正道脇を歩みたいと思う。
だってわたしすでに邪道を歩きなれている。歩いてみればけっこう雅趣があって去り難い。

投稿: 波平 | 2007/04/18 07:29

波平さん
>貴兄プロフィールにアップの調子・虚空を聴こうとするのですが、なぜだか音が出てきません。なぜでしょうね?
MEPG4の音声ファイルになっているからと思います。
iPodは取り込むと標準でこの形式になってしまうもので。

下記の記事のしたのリンクから聞いてみて下さい。
こちらはMP3です。
http://nabitsuma.cocolog-nifty.com/shaku8/2007/02/post_f6c7.html

投稿: ろめい | 2007/04/17 22:37

確かに論旨前半後半でばらばら、むちゃくちゃですね。

>ひとつ、異議あり!
>芸術はマンネリの中からは生まれない。
マンネリだけでは生まれないのだが、芸術というときに絶えず新奇性をもとめる傾向があるのだが、実はもっと日常の地味な所にもそれはあるのではと思っている。
マンネリを繰り返すところから見える真実もあるように思える。

投稿: ろめい | 2007/04/17 21:53

貴兄プロフィールにアップの調子・虚空を聴こうとするのですが、なぜだか音が出てきません。なぜでしょうね?

あぁ、
「三曲合奏・偉大なるマンネリ」ですが、
論旨が三曲合奏の現状を肯定しているのか、否定しているのか、揶揄しているのか(まさか?)はっきり読み取れません。
「…偉大なる」とあるからは、肯定かとも思うが、文中に「…おかしな世界である」ともある。「マンネリ多いにけっこう」ともある。

人それぞれだから、ある人はマンネリだと思い、また別の人はそこに深遠な価値を見て日々新鮮な気分で稽古に励む。

実は、わたしは、この両者の間を行ったり来たりの浮つき者だ。
気持ちとしては新鮮な気持ちでありたい。が、時に、その気持ちを維持するに疲れる。

が、しかし、方向を明暗に転じて、今は、新鮮な気持ちに浸り得ている。
でも、ヨ~ク考えてみれば、この世界もまた大いなるマンネリ界かも。

ひとつ、異議あり!
芸術はマンネリの中からは生まれない。
新鮮な驚きのなかから、共感のなかから、生まれる。
それを求めて日々稽古する。稽古の楽しみはまさにここにある。

投稿: 波平 | 2007/04/17 08:33

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