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2007/04/08

邦楽器のコラボは難しい

「題名のない音楽会」で常磐津とポップスとのコラボをやっているのだが(しかもオーケストレーションして)何だかなあという印象。
黒人の歌手もなんだか場違いな所にひっぱりだされたように、ノリの悪さにやりにくそうであった。
常磐津組も中途半端、とまどいが見られ、少なくとも自分の音楽ペースではない。
オケはなんとなくあわせているといった趣き。
いったい何をやりたいのか?

純邦楽の世界とクラッシック、ポップスなどの洋楽の世界のコラボレーションは否定するものではないがなかなかうまくいっている例がないようである。大変な天才でない限り難しいのかもしれない。コラボレーションは異色なものをあわせて新たな価値を生み出そうというもののはずである。
両方のよさを消すようなものは、そもそもの音楽としてなりたっていなく単なる実験である。

良く行われる、津軽三味線と洋楽も津軽の良さを消しているようにしか思えない。
尺八は・・一時の道山さんのシンセとやっているCDもけっして良い編曲とは思えなかった。
ある程度成功していたのは昔だと邦山の「銀界」くらいか。その後の「アミーゴ」とか今ひとつしっくりしなかった。
「銀界」にしてもジャズとの距離をおいたところがむしろよかったように思える。
あれをコラボといえるのかどうか。

大正から昭和初期和洋合奏の時代からこのあたりの試行錯誤は現代まで続いているのかもしれない。
コラボとはいえないが一番うまくいっているのが演歌の世界かもしれない。
民謡、浪花節的な邦楽系の要素と洋楽が渾然一体となっている。これの尺八には確かに違和感がない。
日本人の作り出した成功例かもしれない。

どうも「音楽は世界共通」みたいなフレーズが呪文のようになっていて無理をさせるのかもしれない。
別に民族個別であってもよく、それがさらに一つ同じ土俵でやる必要はないように思う。
一昔前のプロレスの異種格闘技を見るような思いである。それぞれにルールが違うところに存在価値があるのかもしれない。

本当のコラボとは・・難しい課題である。

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コメント

わたし1940年生まれです。実は18歳の時から尺八を触っている。わたし音楽に免許状なんて変だと思っていた。で、始めたのは都山だったけれど、免状を得たいとは思わなかったし、免状は得ずに来た。

が、今は、違った思いがある。
導主が真剣に導いてくださるからは免状はひとつのケジメとして大切にしたい。郷に入れば郷に従う。門の中へ入らせていただく。そこで学ばせていただく。どうして免許状をあやふやな物に思ってよいものか。って、思う。

投稿: 波平 | 2007/04/12 08:57

しんたさんの世代は学三では家元制打倒のようなことが学生運動の流れと一緒にあったように聞いています。
集金システムという面はありますが、尺八などは今では大して機能していないような気がします。
というよりその頃の家元制度は自然崩壊に近いところに来ているように思います。
詩吟のようにやたら家元を作るのもどうかと思いますが伝えるものがない家元というのが一番まずいかもしれませんね。

投稿: ろめい | 2007/04/10 00:33

もともとのテーマとは、ずれてしまいますが、
ぼくらの世代(の一部)は家元制度というのにはものすごく抵抗があります。制度として形が出来たのは明治以降だと思いますが、今は中身ではなく閉鎖的集金システムに成り下がっているのではないでしょうか。能狂言ならいざしらず、尺八などはもっと開かれてしかるべきです。が、同世代の連中も自ら家元に成り下がる人が出てきて情けなく思ってます。

投稿: しんた | 2007/04/10 00:24

免状はそれ自体意味のあるものではないとは思いますが、励みにはなると思いますし、流への帰属意識があるのであれば(自分のよりどころを求めるという意味では)あってもよいと思います。
あまり大きなお金が動くとか、それによって縛られるとかいうのを見ると否定的にもなりますが・・・。
古典芸能の世界、伝承の世界では私は家元制度は必ずしも悪いシステムだとは思いません。

しんたさん
明暗の導主会は、都山流よりはるかに充実した家元制度ですよ。虚無僧尺八と家元制度はしっくりしませんが・・・


投稿: ろめい | 2007/04/09 22:51

免許はあります。
吹ければ良いというのはデッタイの真実です。
だが、凡人は迷う。
先達に導いてもらう。ここに免許が介在し励みの手助けをする。
免許を得たいは、進みたいの意。
我流の落とし穴を避ける意。
真正面から進むには凡人には免許の誘惑が薬。
パルヤーヤ、どの道を進むも同じこと。

投稿: 波平 | 2007/04/09 21:14

明暗の免許なんてあるんですか?
僕はどこの流派にも属してないので、免状もなにもないし、興味もありません。吹ければ良いのです。

投稿: しんた | 2007/04/09 19:15

コラボレーションねぇ~、
わかるわかる、

わたし、三弦との合奏も少し無理があるような気がしてならん。
箏との方が乗りがよいかも。だがやはり無理がある。

尺八だけでは限界があるから、より発展するためには云々…、の観方・考え方があると思うが、だからと言って無理するのは良くないですなぁ~、

明暗をほんの少し齧りはじめて、途端に思ったのは、音楽ってなんだろう?ってことでした。
要は言葉の変形に過ぎないですよね。呼吸のあり方と言った方がよいのかな。尺八咥えて息しているって感じ。それでよろしいのではないかな。吹禅って言いますけれど、どういうことかわたし分かりません。

明暗を始めたけれど、上手になりたいとはあまり思わないです。でも、もっと、もっと、知りたいとは思ってますよ。免許も得たいですしね。がんばらにゃならんですなぁ。
だけど難儀でっせ、
何度吹いても暗譜できんが、この弱頭なんとかならんかなぁ、

投稿: 波平 | 2007/04/09 06:37

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