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2007/05/15

流行歌としての地唄

地唄は今でこそ古典芸能、芸術の扱いであるが、江戸時代末期から明治にかけては大阪方面では端唄と共に大阪町人の「流行歌」の位置づけであったようだ。
確かに地唄は変に芸術歌曲なんて見方をするから、歌詞の俗っぽさが気になるのだが、流行歌としてみればとても納得がいく。
今、三曲音楽を演奏するとき、この流行歌としての軽さというか、楽しさをもっともっと考えたほうがよいのではないか。どうしても「伝統」「芸術」なんてものにしばられると重苦しいものになってしまうように思う。
あっけらかんと楽しむ地唄というありかたもよいように思える。

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コメント

>閉じた集団の中で保存してきたのだから

そう言ってしまえば、邦楽全般みなそうなってしまいます。
本曲などなおさら「閉じた」音楽ですよね。
だからといって、普遍性がない・歴史の評価を得てない、とは言えないのではないでしょうか?

投稿: しんた | 2007/05/17 17:45

音が暗いのは楽器のせいかと思いますが、私は相変わらず三曲の良さがわかりません。

ネット上の、プロ風のひとの音源やビデオを見るのですが、大きい音や指が早く回るのを誇示して終わっているのが多い。難曲を演奏します、なんて喋っているのもありました。
音楽を聴きたい気持ちに対して、それが難曲かどうかなんて、どうでも良いことです。

そもそも、三曲は時間の判定を経ていないので、これを古典と呼ぶことに私は違和感を持ちます。
閉じた集団の中で保存してきたのだから、骨董と呼ぶのが自然のような気がします。
骨董は嫌いではありません。分不相応なので買いませんが。

投稿: ペリー | 2007/05/17 16:19

ペリーさんの言うようにSPのテンポはかならずしもその時代を表していたかは難しいところがありますが、演奏そのものの軽みは充分感じられるように思います。
今の演奏の方が音が暗いように思えるのは私だけでしょうか。

投稿: ろめい | 2007/05/16 19:36

SPは、決まった時間に一曲を詰め込むために、通常より速く演奏している場合があります。
また、原盤を遅めに回して録音することで、再生した時に音の輝きが増すような操作が加えられていることもあります。
さらに、レコードによって、再生時の回転速度設定に微妙な違いがあるので、再生速度を間違えている場合もあります。

ですから、SPの演奏速度をそのまま信用するのは危険かと思います。

投稿: ペリー | 2007/05/16 18:57

SPの部屋の地歌を聞くと、今よりテンポも速くあっさりした演奏でした。現代人は当時と同じようには楽しめないのは仕方ないにしても、なにか工夫の仕様があるでしょうね。

投稿: しんた | 2007/05/16 17:00

気持ちが楽になりました。

乗って吹く・・・こんな感じが必要なのかもですね!!

音楽的センスがそこまでいけない私です・・・・

投稿: @単管丸 | 2007/05/15 22:53

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