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2007/08/07

うまい本曲とは?

本曲を聴いていて「これはうまい!」と思うことがある。
本曲において「うまい」とはどんなことか・・・

・昔の名人のスタイル、様式感、音色、・・・に似ている、
・音色が澄んでいる、浸透力がある
・演奏、表現がいやらしくない、品がある
・音量の小さいフォルテが美しくニュアンス豊か
・音に幅がある。
・演奏が大きい
・自分の曲にしている
・・・・・・・
で結局うまい本曲は
・最初の一音の豊かさ
という結論かなあ。

まだまだ「うまい」の要素はありそう。
これらはもしかしたらどの曲ではなくジャンルを問わずいえることなのかもしれない。
つまり、調子でも虚空でもうまいものはうまいし、下手なものは下手である。
もっと言えばローっと一息吹くだけでもう全ての勝負が決まっている。
私も本曲を吹く限りはすこしでも「うまい」と言われたい。(色気たっぷり)
本曲は仏さんに向かって吹いているんだからうまいまずいは関係ない、といわれる方もいるが、仏さんだってうまい尺八を聴きたいと思うな。

うまい本曲をめざして、一音に全ての集中力を持って臨む。
一音を吹くために多くの多くの曲を吹く。
そして1曲に戻り、そして一息に還る


それが、むずかしい。


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コメント

虚韻さん
>また、須藤脩鵬師CD演奏は、かなりスローテンポである。
>神先生のは折登如月(町方風)に師事とあるが、激しいコミである。
こみは津軽でも人の数だけあるようですが、どれが元々かはわかりません。テンポはともかく、かなりおなかにぐっとくる感じのものがいいですね。。ふわふわユリか区別のつかないのは個人的には気持ちが悪いです。

投稿: ろめい | 2007/08/16 07:32

夏場にコミ吹きは、ひときわ汗をかく。腹も減ってくる。
コミ吹きが津軽の厳しい風土で育ったのは納得できる。
身体は暖まり、士気高揚したのであろう。

献奏会で色々なコミを聴く。腹筋の動きのみのコミ、
それに身体の動きが伴う、顎横のユリ動きを伴う、または
顎斜めの動きを伴う。口先だけでタンギングする人などなど。

また、須藤脩鵬師CD演奏は、かなりスローテンポである。
神先生のは折登如月(町方風)に師事とあるが、激しいコミである。

色々あっていいのであるが、元々はどうだったのだろう?

投稿: 虚韻 | 2007/08/09 09:47

確かに「うまい本曲」というのはあまりいい言い方ではないですね。

正しい本曲というのも嫌ですが、うまいと言ってしまうのはこれまたうまくありません。

しんたさん言われるように「良い」という言い方の方が近いのかもしれません。

投稿: ろめい | 2007/08/08 23:58

本曲は上手いにこしたことはない。が「上手い」のと「良い」とは別だと思う。
良い演奏とは、こう考える・・・
  無心に吹く。受けを狙わない。
  命そのものが息となり竹を吹きぬける。

投稿: しんた | 2007/08/08 23:49

明暗対山派「調子」「虚空」、遅まきながら聴きました。
二尺三寸管は筒音A♯のでしょうか。 
本曲向きの地の少ない渋い音色ですね。
生で聴くと、もっと味がいいでしょうね。

「調子」は善養寺師を彷彿とさせます。
「虚空」は神如道譜とやや異なる為、私も吹いてみないと
分かりません。

うまい本曲は、竹にも左右されると思います。

投稿: 虚韻 | 2007/08/08 18:26

ぺりーさん
いろいろ指摘ありがとう御座います。
>ところで「ピアニッシモ」は、通常のイタリア語でも音楽用語でも、「とても弱く」。
>「強く」はフォルテですよね?
そうですね。ちょっと表現変えました。
つまり音量は小さくても芯のある強い音、(この表現も誤解あるかもしれませんが)を作りたいと思っています。

投稿: ろめい | 2007/08/08 07:54

伝統を受け継ぐとか、名人のコピーを目指すことに絡めて読むと、
ちょっと怖いくらいに手厳しい文章がありました。

****
人は、たとえ真理を(信じて)いても異端者となることがありうる。単に牧師がそう言うからとか、(教会の)会議でそう決まったからという理由だけで、それ以外の理由を知らずにあることを信じるなら、たとえその信じていることが真理でも、その人の信じる真理それ自体が異端に転じる。自分たちの宗教に対する責任と関心という負担ほど、ある人たちが進んで他人に委ねたがるものはないのである。
ミルトン『言論の自由』
****

ところで「ピアニッシモ」は、通常のイタリア語でも音楽用語でも、「とても弱く」。
「強く」はフォルテですよね?
これらの言葉は音の表情を言うのであって、必ずしも音の大きさとは連動しないのが普通の使い方ではないかと思います。

投稿: ペリー | 2007/08/08 06:29

単管丸さん
なんともまとまりのない文章でごめんなさい。
末の契のハツーはたしかに難しいですね。
ハが柔らかく吹きたいのですが、腑抜けてしまったりしてなんだか
ヘツーとなってしまうときがあります。
ハの長さも工夫が必要です。
かっこつかないときはハツーのハを省略して吹いていたこともあります。(そのほうが無難?)

投稿: ろめい | 2007/08/07 22:07

虚韻さん
ご指摘ありがとうございます。
>…が演奏に似ているは、…の演奏ではありませんか?
そうですね。直しました。
>強いピアニッシモは、弱いまたは細いではありませんか?
これは「強い」でよいと思っています。
ピアニッシモは「音が小さい」ことであり強いのも弱いのもあります。私が普通に吹くとピアニッシモは弱くなってしまいます。
かなり意識して音の芯をもった「強い」ピアニッシモが必要だと思っています。

>本曲を洋楽ふうに横ユリ多用で演奏することを、
>神如道師は嫌ったといいます。要するに洋楽は嫌いだった様です。
横ユリが洋楽風ということではないと思います。
琴古流本曲なんてよく使いますから。
神先生は洋楽が嫌いだったかどうかはわかりませんが、多孔尺八の普及にはちょっと関わっていたようですよ。
三曲合奏なんかは多孔でやったほうがいい、なんていっていたと思います。

投稿: ろめい | 2007/08/07 22:04

ぶしつけながら、気付いた文字があります。
…が演奏に似ているは、…の演奏ではありませんか?
強いピアニッシモは、弱いまたは細いではありませんか? 

本曲を洋楽ふうに横ユリ多用で演奏することを、
神如道師は嫌ったといいます。要するに洋楽は嫌いだった様です。

地無し管で詫び寂び渋みを追求し、フォルテは鋭い当たりで骨太に
ピアニッシモはか細く哀切的に、神如道師CDの迫力ある演奏は、
私の手本であります。

善養寺恵介師CD演奏は現代ふうであります。するどい楔吹き、   メリハリの効いた、きれいな音味。

洋楽教育を受けた私は、この2つのCDを聴きながら、  
また、小出虚風師の生音と助言を手本に、本曲追求の毎日です。   

投稿: 虚韻 | 2007/08/07 09:25

で結局うまい本曲は
・最初の一音の豊かさ
という結論かなあ。

最初の音をきちっと出すのが、私は一番難しいです。

末の契りのハツ-など特に厭です。

投稿: @単管丸 | 2007/08/07 08:49

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