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2007/09/16

「真音(しんね)」とは?

尺八について、本曲に限らず、「真音(しんね)を出さなければいけない」ということを言われることがある。
「真音」とは何?
技術的な話なのか、精神的な話なのか、正直私自身これが「真音」というのを自分の耳で聴いた音でも自分の音でもちゃんと捉えられないでいた。
音の芯を最後まで通す・・そんなイメージで捉えていたのだが、その実態がつかめない。

最近、稽古で少しだけ「これではないか」という感覚をつかまえかけている。
そうできる、ということではなく、こんな感じではないか、というレベルだが。

捻くれた言い方をするならば、「音がないときの音楽の作り方、または演奏者の意思の伝え方」
音を出しているときは音にだまされてしまう。音を出すことが音楽であるように錯覚してしまう。
無意識に音を出てしまっていないか。意思のない音をばらまいていないか。

「真音」は精神論で言うならそのような音を創る意思、技術論でいうならそうできる技術ということになるかもしれない。

これが正しいかどうかはわからないが、そうであるとしてもまだまだ遠い道のりである。

※言い訳であるが自分できちんとつかめていないものについて書くとき、抽象的な言葉が並び、何とでもとれる言葉でうやむやにしているような所がある。ある意味、自慰行為的な言葉遊びといえるかもしれない。

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コメント

私の師匠も神如道の音色を追求していますが、それはどうしたら出るのか。神如道に師匠のは近いと思われますが、それは濁声の音色だと考えます。

得度した神如道の迫力ある音は、僧侶が声を潰して読経を稽古するに他なりません。竹全体を吹き抜くような内吹きが良いのかも知れません。

投稿: 虚韻 | 2007/09/21 09:10

私が感じている「真音」です。

息が体外に出た最初が音になっている事。それも、探りながらで無く、あ~と大きな口を開け、力まずに、ふ~と奥歯を咬むような感じで口を閉じるようにして、腹の底から、息を押し出した時に出る音が、手指に振動を感じた時に、自己満足をします。

これを私流には「真音」と想っています。

投稿: 単管丸 | 2007/09/16 21:17

「真音」ねぇ~、
それがわかれば苦労はない、
どんなのがそれかがわからないから、稽古の目標自体が定まらない。
そんなものは無いのだと思ってしまえばラクチンだが、わかりもしないのに、なんだか実際にありそうに思えるから始末がわるい。
アッハッハ(苦笑)、
わしゃ、このこと云々するのは、十年早いってわかっているのに、いつもイライラ探し続けているのじゃわい。
結果、
ワイは悪くない、それが出ないのは尺八が悪いのだ、上等のがほしいなぁ~って思ってしまう。あぁ、貧乏は辛い!

投稿: 波平 | 2007/09/16 10:31

尺八の音色は、基音+倍音と上音(噪音含む)で決まります。
同じ尺八でも、人によって吹き方によって音色は変わります。

プロの人は8割方が外吹きと聞きますが、外吹きは歌口のエッジの外に向かって8割9割の呼気が勢いよく出ているようです。竹全体を吹き抜ぬける呼気ではなく、抜けたこもらない響きが良いと云えましょう。

私は外吹きか内吹きか確認していませんが、どちらかで音色も変わってくるでしょう。外吹きが良いにしても、古典の音色を追求したいと考えます。

投稿: 虚韻 | 2007/09/16 08:35

「真音」といっても言ってる人によってそのイメージが違うように思います。ある人は邦山さんみたいな音、またある人は竹全体を吹き抜けるような音、と言った具合に。
自分自身のイメージでとらえれば良いと思ってます。
自分の体と尺八が一体になったと感じた時、「真音」になっているのではないでしょうか。

投稿: しんた | 2007/09/16 07:26

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