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2007/11/23

曲が多すぎる

いや、時間に余裕がなくなると、尺八などはできなくなるもので、そして時間がないと余計吹きたくなるのも尺八。
ブログの更新を怠っていたら、おしかりを受けたのであわてて更新する次第。

本曲にかぎっても曲というのはいくつくらいあるのかは知らないが、「100曲以上曲を持っている」と言っている人は知っている。
そもそも本曲は伝承による類似曲という意味で言うとかなり集約される。(これまたどこまで集約していいのかよくわからないところだが)その中で何百曲というのは意味があるのかどうか。

琴古流36曲、西園流で11曲、流により曲数はさまざまだが、流の流たる由縁がそれらの曲であるということである。(都山流は本曲○曲という言い方をするのか知らないが)

そもそも人は一生のうちで何曲くらい手の内に入るものだろうか。
譜を見ながら吹くというレベル、師匠から習ったことをしっかり演奏できるというレベル、そしてそれを充分噛み砕き、自分のものに同化できる=手の内に入るというレベル。

そう考えると、それほど多くの曲はできないのではないか。
琴古流でも36曲をそのレベルで自在にできるという人をプロを含めて私は知らない。
西園流も同じである。
本当の意味での本人曲というのを1曲ずつ増やせる人が尊い。
錦風流で一生「調べ」だけを吹いたという人を聞いた事がある。
明暗でも「滝落」だけをひたすら、何年も吹いた人がいる。
時間をかけて自分に染み込ませることが大切だろう。
今は情報が氾濫し、本曲の楽譜などその気になればいくらでも手に入り、録音も氾濫している。
その結果、皆が浮気性になり、あれもいい、これもいいとつまみぐいをしおいしい所を食い散らかして結果曲を壊していく。
自身も全くその通りなのだが、短い人生、アマチュアとして吹く時間が限られているのならなおさら、浮気せずただの1曲を作りたいものだ。
そしていつの日か、「驢鳴ならこの曲」といわれるような曲を作りたい。

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コメント

けだし名言ですな。
まったくろめいドンの言うとおり、同感です。
もうナァ~ンも言うこと無いから言わない。

投稿: 波平 | 2007/11/24 05:01

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