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2008/01/09

「藤原道山 古典ライブ弐 寿」を聞いて

今日、世田谷のパブリックシアターに道山さんの古典ライブを聞きに行ってきました。
ほめる人はいくらでもいるのだろうから、私なりの個人的感想など・・・

まず驚いたのは古典ライブと称して、「春の海」「明鏡」からスタート。これが古典になってしまうのか?
以前、現代曲を中心にやっている人が宮城曲は古曲といわれて驚いたことがあったが、もう世の中ではこのあたりは古典なのですね。
文句があるのは、音響。マイクを利用するのはやむをえないにしても、リバーブが掛かりすぎ、気持ち悪い人工的な残響が残り、これは本当に残念でした。

「春の海」 さすがですね。道山さんなら数え切れなくらい演奏している曲なのでしょうが、慣れきった舐めた演奏にならず、軽々とした演奏ででした。

「明鏡」 古曲的な解釈をするのか、現代曲として演奏するのか、と思って聞いていたのだが、どちらでもなくバランスをとった演奏であった。悪く言えばどっちつかずでもっと道山色を出してもよかったのかもしれない。
フレーズのはじめを比較的強く、無造作にぶつけていくのが気になった。

「鶴の巣篭」 曲自体はそもそもまとまりのある曲ではなくあまりよいとは思わないが、演出もあり、おもしろく聞かせてもらった。
それにしても音の説得力というのは、本当に尺八の命であると思った。あの曲を最後まであきさせず聞かせるのはプロの地力である。

都山の本曲・・・曲自体の魅力がどうしても私には感じられない。コメントなし。

「尾上の松」 三曲合奏であるが、私の思う古曲の演奏ではなかった。
道山さんの演奏は琴古流風のあっさりした手法や、楽の手は面白い手付けなど非常に工夫されていてよかった。
ただ、音をぶつけ、sfz(スフォルザンド)的なことを何度もやるのは曲の流れを止めているようなした。
私は三曲合奏は山口五郎先生的な流れるような演奏が好きなせいもあるかもしれない。
音響のせいもあるかもしれないが、絃方も音に落ち着きがなく、テクニックとしてはうまいのだが、古曲を聞いている安心感がなかった。「尾上の松」の筝の手付けは本当にテクニックに走る現代曲以上にすごいことになっていて今回の速さではかなり大変である。
三人とも非常に技術的に高いと思うのだが、三曲合奏としては新しい形なのかもしれないが、どうも落ち着きが悪かったように思える。これは私の古い耳のせいかもしれない。

少し批評じみたことを書いているが、このライブの演奏の基本演奏レベル非常に高い所にあることは言うまでもない。
道山さんには今後も「古典」も「現代」を確認するひとつのより所としてより一層高いレベルに行って欲しいと思う。

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