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2009/01/08

本曲のメリの音程について(少し追記)

本曲のメリの音程については、今まで尺八を吹いてきて自分の考え方も変わってきている。
ここに書くところは、今、現在の私の考え方であり、一晩寝るともしかしたら変わるかもしれない。

まず、メリには無限の音程があるということ。
それから、尺八の場合、音程と音色はいつも対になっているということ。
メリは音程を下げるだけでなく、音色を沈る(める)のである。これがいつも対になっていて、それが曲の中でどう生かされるかを考えなければいけない。
尺八のロとツの(約)短三度の音程の中には便宜的にツのメリとツの中メリが作られている。
この間の2つの音程は、絃と合わせるためには正しい音程が必要になる。(これは平均律がどうこうという話ではなく、糸と合奏する為に必要な正しい音程という意味である)
そう考えると尺八本曲では正しいツのメリの音程というのはそもそも幻想ではなかったか。
和声的な二重奏を前提にしない古典本曲ではツのメリはツよりも低い音であってロまでの無限のバリエーションをもっていると考えたほうがよいように思う。
本曲でも五調子の吹き分けというような所では確かにメロディを作るためには、ある程度、収まった音程が必要だろう。しかし、五調子の吹き分け自体、実際に出てきたのはかなり時代が新しくなってからのように思える。
また、そこでも調子を変えたことにより乙甲の反転、メリ音程のばらつきなどを含めて旋律が微妙に変化することを楽しんでいるようにも思える。
つまり古典本曲のメリ音程は本来あまり縛りの少ないものであったのではないか。
私の昔からの仮説は、昔の人は音程に関しては今の人よりも許容範囲がはるかに大きく、音色に対しては今の人よりもはるかに聞き分ける力をもっていたのではないか、ということである。
つまり、音程のずれに対してはそれほど問題にしないのに対して、音色に対しては聞き分けていた、と思えるのだ。その根拠はそもそも尺八の作り自体、ピッチをあわせるというレベルではないし、そんなことは要求していない。反面、今は随分整理されてしまったが、同じ音程で違う運指の音が実に多かった。それを区別していたというのはやはりそれを聞ける耳を持っていたということではないだろうか。
この前提に立ったときメリの音程はいろいろ生まれるのはやむをえないことだし、それがあまり問題にならなかっただろう。
さて、今、私が吹くときにこれについてどう考えるかだが、基本的には「習ったように吹く」ということだけだろう。
本曲の場合、許容される音程にはある程度の幅があると考えている。つまり正しい音程は唯一ではなく、ある音程を中心に上下の幅があるように思う。この幅をどのくらいで見るかは、人によって違うかもしれないが、今の人の耳が聞くのであれば半音以内だろう。
習ったような音程で吹くわけだが、何度も吹いてその音に納得する(曲の中で音程が落ち着く位置を見つける)作業を行う。曲に慣れていないために音程が落ち着かないこともあり、吹いているうちにわかってくるものもある。
極端に高めでとってみたり、低めにとってみたり、そんなこともやってみたことがある。
昔の人がどうして、そのような吹き方をしているか、よく納得できるまで聞いてみたい。

私は、対山派、西園流の普大寺系の本曲の多くはツのメリなどは外曲のツのメリを基準にしている。時々、ほんの少しだけ浮かせてぼんやりさせた位が落ち着きがいいと思える。実際、父からはそう習ったし、対山派の元の西園流ではそうなっている。
今の京都の導主会の吹き方は谷北先生のテープをさらに極端にしてしまったようにツの中メリであるがごとく言っておられるが果たしてどうなのだろう。あくまでも中心の律はもう少し低い所にあるように思える。
樋口対山自体も外曲や和洋合奏までやっていたのであるから、到底あの律ではなかったように思えるのだが。
手穴の小さい古管では確かに音味はよいが、メリはどうしても下げ切れない傾向にある。音程の許容値の上限で作っていた旋律が、知らない間に明らかにツのメリより半音上(中メリ)の律であるかのように誤解されていったのではないか。
これは感じ方であるが、ツのメリを浮かせた音程というのとツの中メリと思って始めから旋律を作るのでは違ってくるような気がする。
奥州系の曲はメリの音程のバリエーションはもっと豊富である。
メリの音程で音楽の作りががらっと変わってくる。昔の人の演奏を聞いても、実にいろいろで、もう習った中での音程、音色を工夫するということ。特に奥州系の曲はメリは音程もそうであるが音色の変化ということが重視されているように思える。明けの大引きのメリなんて本当にすばらしい手法だと思う。(私自身、音程を重視するあまり、指でめったりして逃げているが)
最近の風潮としては「メル」が音程だけになっているような吹き方が多くなっているような気がしている。

正解のないメリの話はこのくらい。
人の数だけメリがあるのが本曲の世界かもしれない。

<少し追記>
父とこの話をしていて父に言われて気づいたこと。
尺八の構造自体の問題もメリの音程には大きな影響があるということ。
昔の孔割りの竹で吹く場合、確かに半音の音程(というか普通の音程ですら)今の三曲音楽をするときの律にあわせることは難しい。メリの音程云々の前に音色重視の古管ではこれが高い低いを議論することはあまり意味がないかもしれない。

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コメント

明治23年頃の対山の木版譜でツを平調、ハを盤渉に作る話を以前しましたが、他にも
虚堂編の「虚霊山明暗寺文献」や、雪翁の本も同じで、これは「一節切」と同じスケールですね。

ここから、律旋を主に吹く環境に対山が琴古風、陰旋寄りの習慣を遠慮がちに持ち込んだり揺り返しがあったりといった錯綜する状況を想定できるかと思います。

ウやツの作り方は単純に律旋か陰旋かで決まりますから、私たちは旋法の音色感を磨くのが根本かと思うのですが、そうすると曲になっていないという話になるのでしょうか。

音程に幅があるのと音程が悪いのとは別の話、逆の話かと思います。

投稿: ペリー | 2009/01/23 17:09

波平さん
自分の中でもこの問題は揺れています。
もう二世代前の音を聴くことが出来ればすべて解決するのですが・・・

投稿: ろめい | 2009/01/09 21:29

ありがとうございます、
お話、非常によくわかります、ここまで理路整然とはわたし意識していなかったが、まさにおっしゃるとおりだろうと、納得納得です、

京都・導主会の音をわたしは今習っている、
とにもかくにも、師匠の真似を第一に思い、稽古をします、
が、疑問に思う気持ちは、これはこれで大切にしたい、
造反するつもりはさらさら無い、が、研究はしたい、
わたし、年明け以来、自分で納得の「ツ」「チ」「ウ」「ハ」でやってみようと、このことに集中し始めています、
師匠の下での稽古の際は、控えますがね、

地歌律でやってみる…、
と、曲が、別の曲に聴こえる、思える、
が、やはり、コレではイカンと思う、
なんでやろ???

そうかぁ~、
音程より、音色なのですよね、
必要な程度、音色主体で音程をとらえればエエのだった、
わたし、地歌吹きしていた時の音色が、今は、まったく別のものになっている、
わかる、解ります、貴兄の言うことわかります、

投稿: 波平 | 2009/01/09 11:03

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