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2009/02/26

清潔な尺八

古道具屋で尺八を買うとき、遠目でもなんとなく良し悪しがある程度わかる。
まず汚い尺八にまともなものは少ない。
人がていねいに愛情をこめて扱った尺八は見た目にもすっとしている。
愛情を受けてない尺八はお墓の花入れの竹と変わらないし、逆にいじくりまわされて無茶苦茶にされた尺八もよいものはない。
良い尺八は節が7つあるとかそんな話ではなく、見てもすっとしていて存在感がある。

演奏も同じである。
私は本曲をよく吹いているが人の演奏を聴いたとき、まずそれが「清潔な演奏」かどうかが私の大きな基準である。尺八は嫌らしいほどにその人の人間性が出てしまう。
まっすぐにぶれのない演奏は音が出ている出ていない、技術のうまい下手を超えて聞くことができる。
逆にいくら技術があろうとも、どうにも嫌ったらしい演奏というのもある。
そういった嫌ったらしいところを自身嫌いながら、実際に吹くと無意識に何か余計なことをやろうとしてところどころにそういったものが顔を出す。
誤解をおそれずに言うなら「品のある演奏」というものをめざすべきだろう。
余計なものをそぎ落とした「嘘のない演奏」ともいえるかもしれない。
尺八を吹きながらも、いろいろな自分が現れては消えていく。

まだ道は遠い。(というより見えない)

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コメント

そうですねえ。
えらそうなことを書いていますが、どういうものがそういう演奏なのかもわかりません。
演奏聴くと匂いがあるんですよね。
全身から立ち上るようなものが。
一昔前にはやった品格なんてことばが適当かどうかわかりません。
それにしてもだませない恐ろしい楽器です。

投稿: ろめい | 2009/02/28 00:20

私が「品のある演奏」を求めるとかえってお里が知れてしまいます。
音を出す技術と正確な運指をなんとかしたいです。

余計なものをそぎ落としていくと「虚空」はツレー ロー、「虚鈴」はツレチ ハー
になってしまう。
それで良いような気がするけれど間違っているとも思う。
その塩梅に迷います。

you tube で鶴田浩二を聞きました。
泣きながら鼻声で歌っているオジサンとばかり思っていましたがメッセージがきちんと伝わってきます。
十四期会という特攻隊の同窓会があったのですが彼は出征していないにもかかわらず必ず出席して世話役に徹していたそうです(当事者からの直接の伝聞)。
やるべきだと思えば笑われても堂々とやるというのも「品位」でしょうか。

投稿: ペリー | 2009/02/27 19:00

私は、一音一音の消し方に「品」が現れると信じています。

次には音の入り方で、次は、音と音の繋ぎ方・・・

自分では解らないが、性格、人生、師匠、流派、実力などが、その一音に出るのでしょうね。

今吹き出ている音は、音に表すことができる、今の自分です。

投稿: 単管丸 | 2009/02/27 09:00

ウ~ン、
鉄槌を食らったような気がします、

大いに反省し、本物を目指します、
ありがとうございます、

投稿: 波平 | 2009/02/27 07:36

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