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2009/03/28

上手と下手の間

尺八を習い始めて●十年、一向にうまくならないのだが、それでもなんとかしがみついている。
今までにアマチュアでも「うまい、上手だなあ」と思う人は多くいたし、プロでも「どうかなあ」と思う人もいた。
一所懸命、練習すればいつか「上手」になれるのかなあ、と思ってきた。

最近、独りでの練習しかできないので、自分の演奏の録音を時々とって聞いている。
それでわかることは私の中の「上手」と「下手」の間には大きな段差があるということ。
下手から昇り詰めても上手に行かないような気がするのだ。
もちろん下手の中にも下手の下、下手の中、下手の上はあるのだが、そこから上手の下が一つとび越えなければいけないものがあるようだ。(そういう意味では自分の演奏は下手の中から上あたりだと思っている)

何が違うか。
ひとつは充実した音。
しっかり芯の通った安定した音。音の輪郭がはっきりしていてすっとしている。
もうひとつは気持ちの置きどころ。
自分の演奏について意思を持っていて、それを見せる技術がある。

どうやればそこを飛び越えられるか。
稽古による上達は薄紙を一枚ずつはがすようなもの、しっかりやっていれば気がつくとある所に達するという言い方もある。それを否定するものではないのだが、「何か」がその間にあるような気がするのだ。


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コメント

>>「上手」と「下手」の間には大きな段差

上手となると、音楽的センスや才能、指の器用さ、演奏曲に対しての完成度等々有りますので、私のたどり着ける領域ではありません。

そんな色々な才能を持ち合わせなくとも、努力すればたどり着けそうな、一音の、音味、音色、音の艶、気品など、自分が納得できる日が来るのを求めて毎日稽古にいそしんでおります。

投稿: 単管丸 | 2009/03/31 19:27

このあたり、断定的に言うのは危険なのですが、結果として横隔膜をコントロールし難くなるという事情はあると思います。

メカニズムは、みぞおちに力が入ると内臓が圧迫されて上にあがります。横隔膜も上に押されて、胸郭が高くなります。
息を吸おうとすると、胸郭をさらに高く、あるいは横に開かなければなりません。
横隔膜は吸気の時には下がろうとするのですが、下から圧迫されているので充分に下がることができずに硬直します。
このとき、みぞおちと胸郭の拮抗する力の感覚が音を支える事になります。

このように上半身に力が入ると、喉や唇にも力が入りやすくなるうえに、吸える息の量が少なくなり音が痩せる、吸うために不必要な力を使うので体力を消耗する、気を使う要件が増えるので音楽に集中するのが難しくなる、など不利な条件がそろってしまいます。

基本的には、深呼吸をするのとそれほど違わない力で、尺八は鳴るものだと考えて良いのではないかと思っています。

投稿: ペリー | 2009/03/31 06:30

ぺりーさん

みぞおちがつかえてるは、横隔膜を自在にコントロール出来てないことでしょうか?

投稿: 虚韻 | 2009/03/30 22:49

参考になるかわかりませんが。
聞いていると、こちらのみぞおちつかえてくる、という直感的なものなので、言葉にすると痛し痒しなのですが、音色がつかえた感じがします。

全般的に、のびやかな澄んだ響きが足りないのかもしれません。
そのため、強い音やアクセントで、響きが広がらない、切迫して小突かれたような印象をうける。
弱いときに、音がつまって、こもりがちになる。

息が少なくなったときに、口先で作ったような息苦しい音色になる。

フレージング(本曲に言うのはおかしいのですが)の腰が弱くなり、音楽が自然に湧き出て来るような流ができない。言葉を変えると、息が流れていない。

おおまかですが、おおよそこれらが、みぞおちのつかえと直結しているかと思います。

対策ですが、いろいろ方法はあるのですが、最終的には御自身が覚悟を持って変える意外にありません。

対症療法のようなものとしてふたつ。
ひとつは吹く前に、あるいは吹いている途中でも必要に応じて、上体をそらしてみぞおちや腹筋を伸ばす、ストレッチですね、意地でも力を抜くということ。

もうひとつは、現在みぞおちの力を抜くための筋肉が充分に働いていないのですから、これを少し刺激する。
具体的には直立の姿勢で、左右の脚を20回づつ水平になるまで上げる運動をしてみる。これは呼吸筋に対してはやや間接的なのですが、翌日あたり、音が出にくくなれば(筋肉が疲れて)効果を期待して良いかと思います。力が入る時には息を吐いて下さい。

韓国ストレス、大変かと思いますが、練習環境としては悪くないとおもえると幸せですね。人前で吹く時にはストレスの渦中ですから。ちょっと他人事のようで、すみません。

投稿: ペリー | 2009/03/29 18:08

ペリーさん
ありがとうございます。
みぞおちは固いです。
昔からゆるまずに降りないのでずっと注意されています。
特に最近、韓国ストレスで・・・・。

演奏のどういうところからみぞおちのつかえを感じられますか?
参考までに教えてください。

投稿: ろめい | 2009/03/29 09:09

欠点を身体的に納得して、原因を理解し、それを解決する努力をしないと前進できないわけですが、二十歳前に厳しいトレーニングを受けていないと不可能のような気がします。
大人になるとプライドが邪魔をするし、教える方も、普通は弟子をお客さんあつかいしてしまう。

しばらく楽器を続けていると、誰しも一度は大きな壁を乗り越えて、天下を取ったような体験すると思うのですが、その時の考え方や方法にとらわれていたら、もう何十年続けても前進は無いのが普通でしょうか。一歩進んでから振り返ると、壁と思ったものはただの薄紙一枚なんですね、大抵は。

本当に上達するのには、苦痛を伴うものです。才能や練習量より前に、苦痛を自分に課して、それを乗り越えることを喜びとしないと始まりません。
スポーツと似ていますね。何百万時間歩いても、100メートルを速く走れるようにはならない。

しかし今の世の中、何の楽しみも持たずに老け込んでしまう人も多いのですから、たとえ上達しなくても、趣味があるというのは素敵で貴重なことだと本気で思っています。

なお、これは特定の個人を想定して言っているのではなくて、一般論です。誤解なさらないようにお願いします。

>ろめいさん
今、音源を聞き直したのですが、みぞおちがつかえているように聞こえます。
このコメント、不愉快でしたら問答無用で削除してください。

投稿: ペリー | 2009/03/29 06:49

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