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2009/05/23

「揺り」は真っ直ぐな音を生かす技法である

尺八の音楽で「揺り」というのは特徴的な技法だと思う。
よく揺りのことを、洋楽の「ビブラート」という言い方をする人がいるが、どうもビブラートとは違うもののような気がしている。
揺りにはいろいろな技法がある。
・音の強弱によるもの
・音程の高低によるもの
・そしてそれらを混ぜているもの
実際にそれをやる場合も
・息による揺り
・顎による揺り
・支える手、指による揺り

私の今住んでいる韓国の国楽のテグムなどの楽器でも揺りはある。
まっすぐ出しているところの方が少ないくらいで積極的に揺っている。
音程も音の大きさも絶えず変えている。
そうすることでものすごく色っぽいというか人間的なものを感じさせる。

先にビブラートと違うといったのは、ここで尺八の揺りはフルートのビブラートと違いもっと積極的な音楽表現なのだ。単に音を減衰させる場合に単調にならないためということではない。
むしろ演歌のこぶしの表現と似ていると思う。
また本曲などでは音量も音程も変化させ、横隔膜も口腔もいろいろ使っての表現になるので、最も個性が出やすく、音の品位も変わりやすい。
どういう揺りがよいということはなくその時々にあった表現ということになる。

本曲よりもシンプルな三曲音楽での前歌、後歌などでのふつうに音を伸ばす場合の尺八の揺りであるがこれはむしろかなり控えめでよいと思う。
私もそうであるが、音を消していく技術がないため、あるいは、まっすぐな音に力が足りないため、揺ることによってごまかす場合がある。
2拍あると定型的に2拍めから揺るなど、パターンとして揺っている場合がある。
これらは、揺りは表現ではなく、「癖」である。
まずまっすぐ吹いて、自分で意識して揺りを入れるという意志のある「揺り」を心がけるべきである。

揺りは重要な技法であるが、無意識になっていることが多い。
揺りは真っすぐな音を生かす技法である。
揺りを勉強するにはまずは「揺らない」練習をしっかりすることが大切かも知れない。

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コメント

ろめいさん。

>地なしだからではなく、その竹の個性のうちでしょう。

当然です。

>それが絶対のものではないと思います。

「音楽において、間違いはあってもただひとつの正解と言えるものは無い」。
この立場は一貫してきたつもりなのですが、印象は違いましたか。
作文は苦手です。

本題ですが、
本曲の「揺り」、私には節(旋律)に聞こえます。

投稿: ペリー | 2009/06/01 16:40

ペリーさん
コメントありがとうございます。
>鳴りにくい地無管でなければ
>1尺8寸くらいの、少し余計に体力を要求するような地無管が理想的だ
本代とは違いますが、地無しについて上記のようにコメントされていますが、個人的には必ずしもそういう竹ばかりではないと考えています。
地なしだからではなく、その竹の個性のうちでしょう。

>対山派でも近頃は地盛管で免状を出すという噂も聞いていますし
地盛管というのはあまり聞いたことがありませんが、通常の地管とすれば本曲を吹くから地なしでなければ、ということではないと思います。音色の趣味はあるでしょうが、それが絶対のものではないと思います。(おそらく聴いて全て当てられる人はいないと思います)
あくまでも表現の一つでしょう。

投稿: ろめい | 2009/05/31 22:35

虚韻さん、こんにちは。

1 「そのままの幅で色が薄くなっていくような感じで減衰していくのが望ましく」

尺八の場合も基本的には同じだと思います。
しかし、対山派から装飾的な「押しかぶり」のような技巧を避けて吹こうとすると、

2 「ゆるやかな弧を描いて平行線に達し」

これを、音が消える寸前まで延長したような、音の幅が狭くなっていくような「くさび吹き」も欲しくなります。
ま、我流ですから偉そうなことは言えませんが、この二つを使い分け、あるいは適度に混合すると、吹いていて楽しく感じます。

自分が何故、鳴りにくい地無管でなければ面白くないのか、腑に落ちないところがあったのですが、虚韻さんの書き込みを拝見して、この二つのバランスを自分は必要としていたのだと、ようやく納得できました。

そのためには、1尺8寸くらいの、少し余計に体力を要求するような地無管が理想的だということになります。
地盛管や、少しの息で良く鳴るような地無管は「2」を消える寸前まで延長したような鳴り方が支配的ですし、地無しの長管は「1」の傾向が強くなると思います。

もちろん、対山派でも近頃は地盛管で免状を出すという噂も聞いていますし、何が正しいということは無いのですが、それぞれの楽器の個性にあった演奏様式があるということでしょう。

で、ここからが本題ですが、琴古流の理想的な演奏がありました。
スピーカーのマークの隣の「HQ」というボタンを押すと、少し音質が良く成ります。

「鹿の遠音」
http://www.youtube.com/watch?v=3VC4ORADzi8

投稿: ペリー | 2009/05/31 18:32

お歴々のウンチク話にわたしごときが顔出すのはおこがましいですが…、
要は“音の支え”ですよね、クサビ吹きがシッカリできるかどうかだ、
“じなし流モレ息奏法”が効果的みたいですね、
わたしやってみて、そう思います、
十二分に余裕の在る息があってこそ、真っ直ぐ吹きが可能みたい、そして“音の支え”ができるようだ、

わたし、「阿字観」に挑戦中ですが、
この曲は音のあやしや、ユリを聴かせる曲でもあるようで、この稽古に足を突っ込むと、未だ音の管理が未熟なわたしは、“音の支え”そのものを忘れてしまいそうで怖いですわ、

投稿: 波平 | 2009/05/27 04:48

人間が好む楽音というのはピアノであれ尺八であれ、共通点はあると思いますよ。
ピアノはいったん音を出してしまったらもうペダルで余韻の長さは調整できますがそれ以外はもう出した所で決まってしまう。
鐘の音もそうですよね。
尺八は出した後に細工できるだけにいろいろやってしまうのですが、理想は鐘の音のように自然な揺らぎと減衰ではないでしょうか。
鐘の音が減衰せずに、ガーーーーーーーとなっていたら興ざめでしょうね。鐘の音ではそうなのに尺八の音ではそれをやっているような気もします。

投稿: ろめい | 2009/05/24 23:07

音を理想的に消すって、どんな音なんでしょう?
ピアノの話ですが、「ピアノ知識アラカルト」の著者の記述に
(ピアノの音を分析して考えるとハンマーが弦をアタックした瞬間の雑音、その直後に立ち上がる振幅の大きさと角度、立ち上がりの速度、そして最大の振幅に達した後ゆるやかな弧を描いて平行線に達し、そのままの幅で色が薄くなっていくような感じで減衰していくのが望ましく、また、この減衰も遅く音が伸びるほどよいと考えられる)とあります。尺八とピアノは違いますが、職業柄、結び付けて考えてしまいました。

投稿: 虚韻 | 2009/05/24 22:35

「真っ直ぐに吹く」というのには段階があると思います。
最初は、とにかくメロディーラインも何も考えず、ひたすら真っ直ぐに吹く。
そのうちに、棒吹きしてても、自然に一音の中に音味や宇宙観みたいなものが現れてくればしめたもの。

投稿: じなし | 2009/05/24 20:09

じなしさん 
揺りは 日本の歌のこぶしと考えるとわかりやすいかもしれませんね。歌心がないとうまくいかないと思います。
海童道さんは歌(今様)も歌っていおますね。
レコードの録音でもあったと思います。

投稿: ろめい | 2009/05/24 09:02

海童道祖は歌も上手かったのではないかと思う。
彼の演奏には浪曲や盲僧琵琶歌のようなこぶしやメリスマを感じる。

投稿: じなしふくぞう | 2009/05/23 23:52

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