« 西園流虚空の迷い | トップページ | 中村明一さん、ふざけるのもいい加減にしてほしい! »

2009/06/27

たった一人の戦い

私がまだ小さい頃、「相手の必要な趣味は二流だ。」とよく言っていた。
趣味というもの、将棋、マージャンなど相手がいなければ本質的に楽しめないものは趣味として上級ではない、
自分自身だけで楽しめる、深められる、そして仲間がいれば尚、楽しいというものが趣味にふさわしい、
ということらしい。

尺八本曲というのは本人だけで楽しむ(苦しむ)ことができる。
それをこの一年間じっくり味わっているわけだが、続けるにつれ、限界が見えてきて師匠を竹友を求めたくなってくる。
人前での演奏をする機会もないため、ひたすら自分に向かって吹いている。
だんだん煮詰まるのが早くなってきている。
この状況での稽古は悪くなる場合の原因はほかならぬ自分自身であるのでいいわけもできない。
尺八ももう数十年やっているのだから、師匠なしできちんと自分の曲として練り上げていくことができなければいけないのだが、今だにどうも芯がぶれてしまうことがあり、不安になってくる。
それでも吹いてみるわけだが、まだまだその先に進むべき光の道が見えるわけではない。

こういうときありがたい曲が「調子」である。
これは本当に自分の心の状態を測るリトマス試験紙のようなものである。
これを吹いてみることで今、悪い方に向いているのか、大丈夫かはある程度測れる。

自分自身とのたった一人の戦いを尺八1本で挑んでいる。
いつか人前でまた吹く時、どういう演奏ができるのだろうか、楽しみでもあり、不安でもある。

|

« 西園流虚空の迷い | トップページ | 中村明一さん、ふざけるのもいい加減にしてほしい! »

コメント

「調子」はスケール、音階練習に似ていますね。

音階練習は

ロローツレーゝーゝー、ツレーチリーリイーゝー(ツレーチリーハアーラロー)~、
イリーチレーツレーゝーゝー、レツーロローローゝー ~。

といった具合に、乙メリロから始めて2オクターブくらいを、上がってから下りるというやりかたも面白いかと思っています。
チやツの音程を各種、組み合わせることで、旋法の色彩感を養うねらいもあります。

尺八家からは邪道だと言われそうですが。

投稿: ペリー | 2009/06/29 15:46

「調子」を吹くことは、なぜリトマス試験紙になるのでしょう?
吹禅として、般若心経のような基本曲と云える、が答えになりますか?
私も最近はひとり練習が多いです。プロに手解きを受けたことはなく、仲間は隣県で疎遠になりがちです。
気持ちが乗らなくて息が続かない時、御仏の前で吹いています。
気が入って、上手下手は別として意外と吹ききることが出来ます。

投稿: 虚韻 | 2009/06/28 16:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30551/45472274

この記事へのトラックバック一覧です: たった一人の戦い:

« 西園流虚空の迷い | トップページ | 中村明一さん、ふざけるのもいい加減にしてほしい! »