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2009/07/05

中村明一さん、ふざけるのもいい加減にしてほしい!

本曲の世界というのはいろいろな人がいろいろな本曲を吹いていて、うまい人も下手な人もいるわけだが私はやはり古典本曲ということを言うのであればある程度真面目に勉強してほしい、真面目な姿勢で臨んでほしいと思う。
古典本曲を吹くということは、音楽を吹くということとともに歴史を明らめるという役割もあると思うからだ。
もちろん江戸の時代の音は残っていないため、それを学んだ人の伝承を受け取っていくという姿勢が必要だろう。

中村明一氏のインタビューと演奏が以下にある。
http://ch.hi-carat.co.jp/1ch/1ch.html

これがひどい。
あまり人の悪口をいうのはどうかと思うが、彼の本曲に対する姿勢そのものが見えている。

まず、尺八の音の優位性ということで、倍音の話とそれの波形を見せる。
整数次倍音、非整数次倍音などと言って説明をしているが、なんの説明をしようとしているのか。
クラッシック歌手が整数次倍音?というのもおかしな話だと思うが。

鶴の巣籠の演奏だが虚無僧伝承曲ってなんだ?結局どこの本曲でもないものをやっている。
朝焼けの中を傷ついた鶴が飛んできて・・・??
最後は死んでしまう・・・??
なんだか凄い話になっている。
演奏が何がなんだかわからない。巣籠り風の手をやたらめったら入れているが、感傷もなにもあったものじゃない。
それからまずいのは、尺八の基礎技術が未熟なことである。
あの音は私と同じ、アマチュアの音である。
古典本曲は技術ではないという向きもあるのでそれを置いておいたとしても、本曲の基本である師匠を真似るというところがない。どこを聞いても習っていないことが明確である。
これが習っているというのであれば、どの師匠にどこが、似ているのか。
誠実でない演奏である。不真面目である。
全国にはうまくはなくとも真面目に師匠について学んでいる人がいる。そういった尺八吹きを馬鹿にしているとしか思えない。
本曲で最低限必要なことは誠実であることである。


しかし、それにしても、これが芸術祭○○賞というのはこの国の邦楽の評価というのもこの程度ということ。
世間はこの程度ということ。
それにしても普通に音楽を聞く耳があればそれすらわかりそうなものと思うのだが。
とても憂鬱な気分になってくる。

もしかしたらこれを読まれる人の中には中村明一さんを評価している人もいるかもしれない。
反論をいただいても構わない。どこをどうきいたらよいのか教えてほしい、。

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コメント

他人が作った楽曲を
演奏者が過度な解釈でいわば自分勝手に演奏するなんて
どのジャンルでもいくらでもあります。
五嶋みどりの弟あたりも盛んにやっていた?やっています??が
ホントに優秀な演奏家ってまず
本物の審美眼があるかどうかで
歴代の名曲の価値を本当に理解出来るかどうかなんです・・・。
「そういう名曲に比べれば
自分の存在や演奏技術なんて取るに足らない・・・」と
弁えを持ってる人のことなんです。
よって
「自己顕示に過ぎない演奏者の勝手な解釈によるアレンジなんて
そういう名曲の前では本当に意味がない・・・」ということを
感じられる感性と弁えがあるということが
演奏家としてのもっとも基本的な大前提なのですが
そうでない演奏家は
他人の作った名曲を勝手な解釈で演奏することは
名曲を汚すことになる・・・という
本質がわかっていない・見えない・・・つまり
愚かで傲慢で僭越な人間なのです・・・。

そんなに自分のやりたいように演奏したいのならそもそも
初めから自分で作曲した楽曲でやればいいじゃない・・・という
感じです・・・。

同じ類の事象として
クラシックの歴代の名曲・ショパンの「別れの曲」・に
勝手に歌詞をつけて歌っていた
クラシック声楽の三菱マテリアルの昔のcmや
j-popでのホスルト「惑星」の歌手の例など
本物の審美眼と弁えを備えている人間なら
決してこんなまねはしないでしょうし
恥ずかしくてこんなまね出来ないことでしょう・・・。

投稿: ふにょい | 2014/09/29 20:29

こま様
コメントありがとうございます。
まず私は日曜虚無僧と言う通りアマチュアです。
プロを目指したことはありません。(ちょっとよぎったことはありますが)
今回のコメントで私が同業プロと思われたとのことで読み直してみたのですがよくわかりませんでした。
紛れる書き方をしていたらごめんなさい。
匿名性と言われるのであれば、本名名乗ることはやぶさかではありませんが ろめい(驢鳴)も尺八で使っている名前なのでほぼ本名と似たようなものです。
この記事は確かにかなり扇情的に書いていますので批判も多いかと思います。

あの演奏がたまらなく好きと言われるならそれも一つの感じ方だと思います。
演奏自体については私はあまりうまくないと思うし、好きになれないということだけです。
(私には正直良さがわからない)
ただ、あの音のファンもいらっしゃるようなのでよくわからないなあと思うだけで。
私が主に言っているのは古典本曲を学ぶと言うことに関するプロとしての姿勢について批判しています。
古典本曲の場合、師事することに対する誠実さを失ったら全てが崩れます。
記事を書いていた時の熱の中心はもっぱらこれです。

投稿: ろめい | 2014/08/03 23:00

中村明一氏の動静に注意していましたので貴殿のこの欄は数年前から拝見しておりました。
私も40年ほど趣味で尺八を楽しんでおります。20数年前に横山勝也氏から弟子の中村明一氏の話を聞きましたが中村氏の静から動、動から静の移動表現が秀逸であると表現していました。当時中村氏の演奏を聴いたことがありませんでしたので理解出来ませんでした。その後10年後くらいに中村氏の本曲CD発売記念リサイタルで初めて生で演奏を聴きましたが大変大きな会場で集音、アンプ、スピーカー等の音響装置を使わずに会場全体に響き渡る尺八の音に圧倒されました。そのとき青木鈴慕氏との鹿の遠音の合奏にも酔いしれたました、と同時に昔横山勝也氏の表現が何となく理解出来たような気がしました。さて本題ですが中村氏に対する意見を論ずる気持ちはありません、人格が違えば他人に対する印象が違うのは当然です。貴殿の中村氏に対する表現は完全に貶しと受け取れますが素人が無責任にプロを貶すのは勝手です。気に入らなければどれだけ貶しても構わないと思います。しかし貴殿は自身のブログではプロをあきらめたアマチュアと表現されていましたがこちらでは同業プロと表現していますね、同業者が同業者を貶す場合はハンドルネームでの記載はいかがなものでしょうか。相手を明確に名指しするのであれば自分の身分を明確にするべきと私は思います。近年ネットによる誹謗中傷が社会問題ともなっていますが原因は匿名性にあると思います。長々と失礼申し上げました。

投稿: こま | 2014/08/03 19:39

海老尾さま
コメントありがとうございます。
結構この頃は書きすぎたかなとも思いましたが
科学で音楽を分析するアプローチは嫌いではありませんが
どうもニセ科学の匂いがして。
同じ尺八吹として恥ずかしい。

投稿: ろめい | 2014/06/29 08:57

モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演するそうですね。年々ジャズとはあまり関係なくなっていますが。
私は中村氏の演奏は聞いた事はなく著書「倍音」を読みましたがひどいものだと思いました。まゆつばな事ばかりで肝心な事には触れておりません。
これでは巷の怪しい倍音でヒーリングなどと一緒だと思いました。

投稿: 海老尾 | 2014/06/29 00:30

無理に好きになる必要はないと思います。
私はなかなかいい音してると思いましたよ。
しょせんyoutubeですけど。

私はジャズやブルース、ファンク、ソウル、ヒップホップ、ハウス、テクノ、アンビエント、ロック、ボサノヴァ、レゲエ、クラシック、挙げればきりがないし細分化すればさらに大変になりますが、まぁ、音楽好き並みに音楽をききます。

原曲を大胆に壊した音楽なんてザラですよ。

昨日の夜もクラブでポストダブステップを聞きにいきました。汗だくになって踊って楽しかったです。
2010年から僕の周りでも認知されはじめて、2012年まだまだ発展途上で、変化していっている新しい音楽です。
実験的なアプローチ、拒否感も覚えるような電子音に空間エフェクトを深くかけた音。

今までにないものを受け入れるかどうかはその人次第なんだと思います。その音に免疫があるか、ないか。簡単なことだと思います。
嫌なら聞かなくていい。

投稿: mountbimbie | 2012/04/21 09:15

mountkimbieさん
なかなか楽しいのでもう少し続けさせてもらいます。

>中村明一さんはどちらかといえば演奏家ではなく「芸術家」なのではないでしょうか?

そうなのかもしれません。
そう言われれば、中村さんは尺八は江戸時代のシンセサイザーだ、倍音を自由にコントロールできると言っておられましたね。
中村さんより技術のある尺八演奏家はよほど知っていますが、そんな器用なことができる方にお目にかかったことがありません。
(もちろん音色をコントロールする人はいますが)

やはり私は尺八のプロと言った場合、尺八の演奏家と思っていますので、「さくら」を吹きますと言ったら誰が聞いても「さくら」のメロディに聞こえる必要があると思います。
しかし彼の演奏は古老から伝承したと称する「鶴の巣篭」を聞いても「鶴の巣篭」に聞こえません。まあ、それも芸術というのであれば、やはり鶴の巣篭からインスピレーションを受けて作曲しました、というべきでしょう。

正直言えば、Kokooでやっているオリジナルは自分の作曲なので好きな人嫌いな人いるので別になんとも言いませんが、彼が古典を演奏しているとき芸術でも音楽でもかまわないのですが、どうしてもいいなあと思えないのです。

中村さんの古典の演奏を音楽として聞いてみてどんな所がいいと思いますか?
http://www.youtube.com/watch?v=DrGSstJiAHs

投稿: ろめい | 2012/04/20 20:10

音楽はいろいろな感じ方があります。
>そうですよね。どう感じるかは人それぞれですね。

私もあまり良い耳を持っている方ではないですが、同じ音楽を聴いてもいろいろな聞き方があるもんだなあと。
>人は20Hz~20kHz程度まで聞こえると言います。自分の可聴域を知ることも大切なことだと思います。高齢になれば、いわゆるモスキート音(18kHz程度の高音域)は聞こえなくなるようです。

個人的には倍音うんぬんは結果的にそうなることはあっても芸術性の先にたつものではないと思います。
>音の三要素「音程」、「音色」、「音量」。
倍音は三要素のなかの「音色」のことです。音に含まれる倍音の量によって音色が変化します。倍音の構成によって、ギターの音、ピアノの音、だれだれさんの声、と聞き分けることができます。
倍音は、そこにある音に含まれているのです。それは結果でもなく、先や後でもなく、ただそこにある要素の一つです。
尺八は倍音の量を操作できるようです。このような楽器は珍しいです。
楽器の特性を活かした演奏をする上では欠かせない要素であると思います。

音響学的な話(これも実際怪しいこと言っていますが)と芸術性とはまた別の話ですし、
>そうなのですか。私は音にとても好奇心があるので、音のことであればどんなことでも知りたいです。そしてそれは創造する上でとても為になります。

音楽の場合残念ながら芸術性の前に基本技術というものが必要ですね。
>私は、芸術は創造だと考えています。湧き出てくるアイデアや今までにないアプローチ、まったく新しいこと、自由な発想、オリジナリティー。それらを表現するために、形にするために、ある程度の技術が必要だとは思いますが、芸術性の前に基本技術が必要とは考えていません。技術を磨くより前に、なにかを表現したいと思う心はありますから。
自分の中から抑えても湧き出てくるものなので、なんとか表現するために、技術はその後についてくるように思います。言葉も操れない幼い女の子がオリジナルのメロディーで歌を歌えば、それこそ芸術であると思います。その女の子を見て「技術がないから音楽じゃない」とは思いません。少女は音を楽しんでいるのですから。

なかなか私も人の批判をできるような立場ではありませんが、プロだけにやはり批判を受けるべきと思って書いています。
>おそらくあなたは古典的な名曲を忠実に再現する「演奏家」を求めていたのではないでしょうか?
中村明一さんはどちらかといえば演奏家ではなく「芸術家」なのではないでしょうか?

投稿: mountkimbie | 2012/04/20 10:20

mountkimbie さん
コメントありがとうございました。
音楽はいろいろな感じ方があります。
私もあまり良い耳を持っている方ではないですが、同じ音楽を聴いてもいろいろな聞き方があるもんだなあと。
個人的には倍音うんぬんは結果的にそうなることはあっても芸術性の先にたつものではないと思います。
音響学的な話(これも実際怪しいこと言っていますが)と芸術性とはまた別の話ですし、音楽の場合残念ながら芸術性の前に基本技術というものが必要ですね。
なかなか私も人の批判をできるような立場ではありませんが、プロだけにやはり批判を受けるべきと思って書いています。

投稿: ろめい | 2012/04/20 07:07

つまりあなたは一つの音の中にどれだけ沢山の音が含まれているか知らないし、感じれない耳をしているということですね。芸術とは限られた人にしかわからないものです。わからないからといって、批判するのはよくありません。楽しいからやっているだけです、あなた達は違うと感じても。

投稿: mountkimbie | 2012/04/19 23:21

今朝、所ジョージの論文の書き方というNHKの番組を見ました。
デジタル論文と呼ばれる、よろしくない書き方の一例を紹介していました。

知ってる事を何でもかんでも脈絡なく書きちらすやり方らしいです。
この話を聞いていて、中村師の例の演奏が頭をかすめました。

TVで、尺八って楽器はこんな音も出せるんだよ、こんな技法もあるんだよ。
息継ぎしないでもこんなに長い時間連続音を出せるんだよ。僕って(イヤ失礼、尺八って)すごいでしょう!この様な番組だったような気もします。

鶴の巣籠もりという難曲に、出来る限りの技法を用いて、誰にも真似の出来ないアドリブ演奏をしてみせたかったのではないのでしょうか。
演奏まで下手に聞えたのは、オーバーまでに技巧に走りすぎたからではないでしょうか。

しかも、この曲に浪花節の様な安っぽいストリーを持たせたために、本曲に真面目に取り組んでいる人に茶番劇の様な違和感を感じさせた所もあるのではないかな?

素人相手の番組で、オシロスコープまで持ち出して専門的にやる、何の意味があったのでしょうか?

何でもありの、鶴の巣の創作料理と言うところでしょうか。
次々に出てくる料理に、何を食っているのかわからなくなりました。
あっさりしたものも食べたーい。
脂っ濃いものばっかし!

「鶴の巣籠もりによるビックリ変奏曲」という題名にでもすればァ!!?

中村明一師は外国等で演奏される機会も多いと聞きます。
日本人らしい品格のある演奏を期待したいものです。

投稿: 00 | 2011/02/05 18:37

いや、こちらこそご丁寧にありがとうございます。
ろめいさんが非常に真面目に取り組んでいらっしゃるのはよくわかります。議論をしようということ自体、発展につながり歴史を作るでしょう。
法則性、というものは時に不自然にみえることもあります。
予測どうりが法則性があるということにはならないからです。
歴史は、食文化にしても、意外な取り合わせが偶然ではなくある法則のなかで行われ、味覚は自由な発展をし、より微妙になってきています。歴史は守るだけでなく、発展させていくものだと、小生は考えるゆえ、発言をさせていただきました。ありがとうございました。
ろめいさんのますますの発展を願っております。
西の翁より。

投稿: 西の富士 | 2009/12/14 17:09

西の富士さん

>その時間の扱い方、自らの中に厳然とある映像が、中村氏には信念を感じるので、小生はここでは反論の一票を投じます。
なるほど、そういう見方がありますか。
この部分は感じ方次第ですが、いくつか聞いた中では特にテンポの遅いものでは、不自然なものを感じました。

他の人の意見もネットでいくつか見ましたが、ほめる人は中村さんのいうのを体が納得するのかということ。なんとなく雰囲気で言っているような気がしてなりません。

コメントありがとうございました。

投稿: ろめい | 2009/12/14 06:45

小生の意見を書いておくのもここでは礼儀でしょう。
料理も音楽も文章も、食べる人、聞く人読む人がいて成り立ちます。
そこには素人なるものはありませんが、それぞれに味わい方の流儀なるものがある。
食べることと、聞くことと、読むことの共通点は、時間と想像力であります。
その時間の扱い方、自らの中に厳然とある映像が、中村氏には信念を感じるので、小生はここでは反論の一票を投じます。
ほかの意見ということですが、中村氏を検索すれば、なぜ良いと思ったかの評文が読めます。
わざわざ小生のようにここに反論の一票を投じに来ないでしょう。

投稿: 西の富士 | 2009/12/14 01:25

がはは、やってましたねぇ。
スタンレイが「悪評は好評を優る絶賛だ」と言ってたのを思い出しやした。みごとじゃ。これは燃えるでしょう。
小生は料理人ですが、「こんなまずいもんだしやがって」と言ぅてくれはる客ほど全部食べてたりしてな。で、化身してまた食いに来はる。
ますます次の一手が楽しみな尺八奏者ですな。
よいおとしを。

投稿: 西の富士 | 2009/12/14 00:46

中村さんに関する評価に着いては、言及出来る立場にありません。

ただ、「整数次倍音云々」とまことしやかに言っていますが、クラシックなんかでも、「モーツァルトの音楽は8000ヘルツ以上の高周波の音が含まれているから耳に心地よく、これを聴くと頭が良くなる」と言う迷信が、巷間言い伝えられているようです。

周波数云々とか倍音とか、いかにも科学的と思われるもっともらしい数値を並べられると、その気になりやすいのが人の常のようですね。それが騙しのテクニックかも知れません。気を付けないと…………

投稿: ムーミンパパ | 2009/07/11 21:12

尺八を始めたころ、初めて買ったCDが中村氏のでした。CDショップでこれしか置いてなかったのです。尺八ってこんなに凄い音がするのかと、何回も聴いてました。そのうち聴いてイライラする様になって飽きてしまいました。
尺八ニューヨークフェスティバルのDVDを観ると、外人でかなり奇異な奏法のプレーヤーもいました。何でも有りなんですネ。中村氏もその一人でしょう。
ムラ息のハッタリ吹きは多用されると拒絶感が生まれます。神経を逆撫でされる感じです。飽きてしまいます。
但し、私の演奏も伝わる域にはなくて、音の羅列に過ぎなく家族に音痴音をばらまいています。

投稿: 虚韻 | 2009/07/08 22:28

コメントで同意いただけるかたも多そうですが、
これがたまらなくいいという人の意見も聞きたいです。

自身どう聞けばよいと思えるのかがさっぱりわからないので。

もっと「いやお前のいうのはおかしい」っていう意見も聞きたいところです。

投稿: ろめい | 2009/07/07 23:22

彼が問題なのは、上手下手ではなく、”嘘つき”であることです。
針小棒大や白髪三千丈どころではありません。
「各地の虚無僧寺にて秘伝を受けた」などと有りもしないことを平気で吹聴する人です。

投稿: じなし | 2009/07/07 19:14

昨年表参道新潟館で聞きました。
感心するところを言えといえば、素人受けするテクニックですね。
勿論私などは出来るはずもありません。

音は皆様の言われているそのものです。
少しがっかりした記憶があります。

プロは、素人受けする事をしなければお呼びがかからなくなるので、音が悪い彼ですが、許す気持ちです。

自分が一番わかっているのではないかな?
アメリカ育ちは、どっこいもっと厚顔か・・・?

投稿: 単管丸 | 2009/07/07 14:29

>本曲の基本である師匠を真似るというところ

いやまったく同感です、学ぶってことの基本中の基本、これがあるから人間なのですわ、

どう教えるかは→師の責任
どう学ぶかは→弟子の責任
…とは言いじょう、
師は、延々と先代から引き継がれきたナニかを持っている、とにもかくにも、これを師から引き継ぐ、全てはここから始まります、
これって、上手下手以前の必要事です、すべての工夫はこの後のこと、

だがなぁ~、弟子(未熟者)の浅知恵がじゃまして、すぐアレコレの雑音に耳を傾ける、
わたし思います、問題はその雑音の品質ですわ、上質の雑音でありたいですなぁ~、
わたし、幸いにして、良い竹友らに恵まれている、ありがたいですなぁ~、

あぁ、中村氏の竹音、わたし好みじゃないです、
なんだか嫌味な変な音に聴こえます、
わたしの師の、あの澄み切った鋭い音とは、まったく別種の音ですわ、

投稿: 波平 | 2009/07/07 05:41

氏を高く評価する人がいるならば、その人は自ら「聞く耳が無い」と宣言しているようなものです。

投稿: じなし | 2009/07/05 23:40

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