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2009/09/12

唱歌中心の教授方法

楽器を教える方法というのは楽器により、人により違うのだろうが、今、学んでいる韓国のテグムの教授方法がなかなかおもしろいので紹介する。

一番大きく違うのは先生はあまり演奏しない。
最初のところで演奏して見せて、部分的に運指などを切りだして教えることはする。
後は、ひたすら生徒に演奏させ、先生はジャンゴ(太鼓)でリズムの調子をとったり、生徒の演奏に合わせて
唱歌しながら強弱、流れなどを伝える。
できないところ、おかしなところがあると止めて解説する。
尺八でもそうだが、古典の場合、楽譜は覚書にすぎず、強弱、流れ、揺りのニュアンスといったところは直接対面で教えるしかない。(演奏だけ録音で聴いてもどうやっているのかさっぱりわからない)
これを声で補完するというのがこちらのスタイルのようだ。
うまくいくと、「チャランダ」(よくやった)と掛け声をかけてくれる。
特に日本的にいえば「間」の取り方については、重視されており、タイミングの取り方というのはかなり何度もやらされる。稽古のときは何を繰り返されているのか、どこがおかしいのかよくわからないこともあったが、録音を聞くとなるほど納得、これがおかしいのねと気付かされる。
かなり大きな声で朗々と生徒の演奏に合わせてニュアンスを伝えるように歌ってくれる。
この唱歌を中心にした教授というのはニュアンスを伝えるには、師匠の演奏だけでは聞き流してしてしまうようなことも伝わるような気がして良いように思う。

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コメント

唱歌というのはもっと評価されてもよさそうですね。
弟子を育てるには吹いてみせるというのはもちろんありますが、後は弟子の音を聞き、何がおかしいか分析するということなのでしょう。
この作業は実際できる人から見るとなかなか難しくてどうして、うまくいかないのか、何がおかしいのか原因を明確に言い当てて、弟子の演奏がその場でよくなるというのが理想なのでしょうが。
(もちろん弟子の力量もあります)

投稿: ろめい | 2011/01/01 09:50

オヒャイヒョーイ ヒャーリウヒー オヒャラーイ ホウホウヒー オヒャーオヒヤーリ ヒャラリヒャラーリ オーヒャイヒョーイ
これは、能の仕舞での能管「中の舞」の、お囃子の一部です。
稽古の時、先生は皮張りの扇子の様な形の物を両手に持ち、前に置いた木製の枕のような形の台を叩きながら、冒頭の歌を朗々と歌うのです。
ヤッ!イヤッ!それに合わせながら、笛を吹きます。
叩くのは鼓の拍子です。
一度も連管で吹いたことはありません。
オヒヤリホウヒ等は、尺八譜の様な音を表すものではありませんので、「中の舞」の手として覚えます。

稽古日には、唱歌のみで終わることも決して珍しいことではありません。

尺八において、連管で指導すること、稽古をしてもらうことには、あまり意義を感じません。
連管は、勉強不足の先生の稽古には役立っても、はたして弟子が真剣に、独り立ちした演奏を出来るのに貢献しているでしょうか?
疑問です。
連管中は、楽譜に集中していて先生の音はよく聴けません。
先生までが楽譜に集中していたのでは講評も当てになりません。

その点、唱歌で教えて頂く事は、尺八で教えて頂く以上に、先生の意図が明確に伝わり、理解しやすい利点が多くあると思います。
極論すれば尺八の上手い先生よりも、唱歌の上手い先生に付いたほうが余程上達の早道とも言えると思います。

六段で、
ツレーレーツローローーを、ツレーン・レーツ・ローン・ローーオンと歌ってくれる師匠がいれば裏拍子で力を抜いてはいけないことも、この歌から判ります。

投稿: 00 | 2010/12/30 15:50

波平さん
そうですね。聴く耳、その通りです。
音楽はニュアンス、気分がとても大事なのでその所をどう聞きわけて、方向付けをさせていくかが大切なのだと思います。
そういわれれば稽古中に「気分」「雰囲気」という言葉をよくつかいます。ここの説明はもう聴いて真似するしかないわけですが。
(こちらの耳の問題ですね)

虚韻さん
そうですね。対山派系の本曲では唱歌は似合わない気がします。
奥州系では揺りのニュアンスとか唱歌でもいいと思いますが。
逆に対山派を教えるというのはよほど難しいと思います。
楽譜としてはそれほど難しくないですし、技巧を廃したとき何が残るか。(もちろん楔ぶき自体がきちんとやるためにはすごい技術が必要です)
私も対山派を学びましたが、その先の所はまだ行きついていません。
勝手に崩さないように、ただそれだけで吹いています。

投稿: ろめい | 2009/09/13 09:40

音楽師匠に必要な資質は“聴く耳”じゃないかな、
弟子の個性を聴き分けるという意味も込めて…、

わたし、
黙って坐る師匠の前で、吹くだけで、随分と稽古になりますわ、

師匠は、
わたしが吹くのを聴いていて、辛抱デケンようになると、突然自分でその箇所を吹きだされる、別に、わたしに聴いておれとも言わずに…、
わたしが理解できていないようだと思うと、その箇所を重ねて繰り返し吹いたりする、
また、教えたいように美味く自分で吹ききらないもどかしさを感じられる時もあるようで、そういう時は、尺八を置いて、大きな声で唱譜し始めたりされる、

言葉としては、とくに指示するようなことは、なにもおっしゃらないですわ、
感じられたことをボソボソひとりごちるような感じでつぶやかれるだけだ、が、純粋で真摯な芯をついたツブヤキですわ、

いずれの場合も、
わたし、とっても緊張します、
ありがたいです、ほんと、ありがたいことだと思っておりますわ、

投稿: 波平 | 2009/09/13 06:59

私の習う古典本曲の多くは、地味で抑揚が少なく読経的で、一音成仏の音色と楔吹を味わう瞑想的傾向だと思います。唱歌練習には至らないのでしょう。

投稿: 虚韻 | 2009/09/13 06:35

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