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2010/01/20

惰性を廃する

「ままの川」の最初の数行を吹いてみる。
しばらく外曲を真剣に吹いていなかったが、ひさしぶりに少し吹き始めるとどうもしっくりしない。
指使いがどうこうということはないのだが、頭の中に三絃の音のイメージがないのだ。
指ばかり動いている感じだろうか。
めり込み、引き色、揺りなどもう全く意味のない手に思えてくる。

もう忘れ次いでにそこで、今まで習ったことをすべて忘れて、本当に楽譜通りに吹いてみる。
体にしみ込んでしまっているので案外それが難しい。
初心者のように強弱も考えず、リズムも揺らさず一定のペースでしっかり吹いてみる。

ああ、今までなんて惰性で吹いてきたんだろう。
どの曲を吹くのも三世古童のやっていたような、運指のルールを真似してパターンで揺りを入れる。
頭を全く使っていない、どうしてそう吹くのか、全く説明がつかないまま吹いてきた。
癖のようなものだろうか。

今、何もせず、ただ吹くのはけっこう難しい。
これを思いついたのは、テグムの稽古をしていて、何十回も吹いていて曲は覚えているのだが変な癖がつき始め、習い始めのように普通に吹けなくなっていることに気付いたからである。
尺八も同じである。長年しみ込んだ癖は、普段練習が足りないからこそ、よく出る。
一度、楽譜をにらみ直して、楽譜の番人くらい忠実に吹いてみることは意味がありそうだ。

それにしても何もしないのはつらいなあ。

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コメント

00さん
三曲を吹くときにどうも垢がしみついてしまっていて、パターンで吹いてしまうことがあります。
もっと音楽の根っこ、骸骨の部分をきっちり勉強して意識をして装飾を入れるのか入れないのか、すべての音に意味、考えをもたせたいと思っています。その中には楽譜には書いてあっても吹かないというのも選択肢かと思っています。

投稿: ろめい | 2011/01/01 09:45

楽譜の番人として演奏することほどつまらないことはありませんね。
そう思いませんか?

私は、稽古にみえる、お弟子によく言うことがあります。
「早く楽譜から離れるようになって下さい」
暗譜で演奏を、と要求しているのではありません。
早く、曲を自分のものにして下さい程度の意味です。
曲を自分のものにすると云うことの、いくつかの例をあげれば、
ツからレに移行する際に、スリが必然のように感じる処があればスルという程度のものです。

リ一の曲などで、楽譜にはウリーとなっていても、チリーと出たほうが良いと思えば、そのようにやったらよい。

速いテンポの処で、レレレレレレレレなど、手がついていけない処はレレレーレレレーあるいはレーレーレーレーとしたほうが、バタバタするよりずっとましです。
速い刻みは、糸の手でもあるのですから、尺八まで同じ手をしてどれだけの意味があるのでしょうか。

三曲合奏においては、尺八と唄が線ならば、三味線、箏は点と云う構成になるものと思うのです。

尺八の楽譜は、三味線、箏の手をコピーしたところも多くあり、ある意味、糸の手が見えているので、合奏の際は、アンサンブルを重視して糸を活かし、竹も活きる事が重要ではないでしょうか。
自分の力量と相談して決めることは、決して手抜きではないと思うのですね。

以上、演奏家にとって楽譜とは、番人になる程のものではない、という私の意見です。

日頃、本曲を主体に演奏なさる方には、ままの川の出だしの、ツの中メリなどに違和感を覚えられるところもあったのかも知れませんね。
また、尺八談議をさせて下さい。

投稿: 00 | 2010/12/30 12:42

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