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2011/03/06

吹く体力はやはり必要である

練習は目的もなく長くやっていても意味がないという。
いわゆる私がよくやるだらだら練習というやつだ。
体育会系の練習は音楽ではあまり意味がないという人もいる。

先日、テグムの稽古で感じたのだが、吹く体力の不足を感じた。
稽古の最初に8分ほどの曲を通して吹いた。
自分としてはかなり気合をいれて吹いたつもりだった。
終わった瞬間、「もういっちょ」というわけで2回目がはじまった。
そして「もういっちょ」
3回目のときには息がへろへろ、息もあがり、唇もしまり、ぼろぼろだった。
先生に「疲れたでしょ」と言われ「はい」と白旗を上げた。

確かに普段の練習は部分練習ばかりしているので、8分×3回=24分きっちり吹くことはない。
それにしてもこの疲労感。吹けば吹くほど鳴らなくなってくることの焦り。

少し前に、8分×5回×3セットというのをやっていた時期があったが(これも一人ではできず芸術高校の高校生と一緒でなければできなかったが)最近は量のけいこというのが足りなかったようだ。
実際、これをやると最後の方はもう音も絶え絶えでとても一人で最後までたどりつけないのだ。
絶対的な「音楽体力」が足りない。

当たり前のことであるが楽器の演奏は体を使う。
音楽の表現、運指のテクニックなどといっても元は息であり、支える体である。
絶対的な体力と集中力、これは音楽をやる前提として必要である。

邦楽でも昔からよくやる千遍稽古とかいうのも意味のあることと実感した。


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コメント

00さん
助言ありがとうございます。

テグムも尺八も共通点は多いと思います。
楽器はそれほど力がいるものではなく、十分に音を満たしてやることができれば鳴ってくれるはずです。

私は尺八で失敗をしました。
子供のころからやっていることもあり、大人の吹き方を子供のころからしてしまいました。
結果、こじんまりとまとまってなんだかスケールの小さい吹き方になってしまいました。
未だにそれを破ることができません。

テグムでは、そうならないようにできるだけまとまらないようにギリギリのところで振れ幅を大きくしてやってみたいと思っています。

これができれば、尺八も少しは変わらないかなというのは淡い期待です。

投稿: ろめい | 2011/03/07 22:20

平成20年発行の、鈴慕会会報を読み返しています。
鈴慕先生との問答が掲載されていますが、その中より

◎大曲は疲れる?
「尺八は散歩と同じ。家の周りをトントントンと一周してくるのと同じで力入れて吹いているわけではない。息しているのと同じですよ。疲れるのは尺八を持っていることかな。」
今回の本題から離れるけど、もう一つ。
◎本曲と外曲では、吹き方を変える?
「みんな同じ。本曲であろうが地唄箏曲であろうが、現代邦楽であろうが。それを信条としています」
いずれも含蓄のある言葉ですね。

さて、テグムの稽古で疲れてしまう話。
写真などでお見掛けする限りバランスのとれたお体のように感じますので音楽体力は十分でしょう。
私が推測するに、テグムを吹くときに口吹きになっているのではないかな?
息を鼻から吸って、息を一旦止め..風船を膨らませるように全身から唄口に、暖かい息を吹き込む。
ろめい兄には、分かりきった理屈だとは思いますが、手にする楽器が変わるだけでこんなにも苦労するのですね。
唄口にフーッフーッと息を吹き付けても、やかましい音は出ても、きれいな響きは出ないはず。
尺八で基本は出来ているのですから、尺八とテグムは吹き方が原則的に同じと分かった時、良い音が出るはずです。
しばらくの辛抱ですね。
頑張ってたくさんたくさん吹いて下さい。

投稿: 00 | 2011/03/07 17:47

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